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面河村誌

(四) 流行語に見る世相

 (1) UFO(Unidentified Fiying Object)未確認飛行物体
 一九七四年、アメリカの飛行家が、空飛ぶ九個の円盤状のものを見たと報告したのが最初で、それから宇宙人侵入の空想に結びつけられた空飛ぶ円盤である。
 昭和五十二年流行歌手ピンクレディーの歌「UFO」が大流行、幼児でさえアクションを入れて、「手を合わせて見つめるだけで………ユーフォー」。
 (2) カラオケ
 カラのオーケストラの意味で、歌詞なしの録音テープによる楽団演奏で、バー・スナック・喫茶店、さては日本料理屋に至るまで、ポータブルのカラオケを持ち込むようになった。伴奏つきで歌えるから、歌の好きな人には、こたえられない。そんな人の心理をみごとにつかんで、ブームを呼んだ。
 (3) ネズミ講
 鼠算式に会員を増やし、その会員の「子」や「孫」から続々金が入り、元金の何十倍ももうかるという触れ込み、今やその会員数は、全国で一五〇万人にも達するといわれる。しも、その被害者一〇〇万人とか。公序・良俗にも反し、数学的にも破綻の必然性があるとか。
 無限連鎖講防止に関する法律(ネズミ講禁止法)が、昭和五十四年から施行せられることとなった。
 (4) サラ金(サラリーマン金融)
 サラリー・ローン小口信用貸しで、無担保即融資のキャッチ=フレーズで、すぐ金を借りられる手軽な街の金融機関。
 昭和三十年ごろ、団地族金融勤め人信用貸が、昭和三十五年ごろから、サラリーマン金融として定着した。
 大手業者の推定では、全国で業者二万、利用者二〇万、貸付金一七〇〇億円という。
 このごろでは、ギャンブル(競馬・競輪)資金や、バーの飲代・不況に苦しむ零細業者の経営資金・さては主婦の家計のやりくり、学生に至るまで利用が拡大され、しかも法外な金利・過酷な取立て・サラ金地獄とまでいわれるようになった。無保証・無担保・健康保険証だけで、余りにも無造作に借りられるので、借りる側にも節度がなく、利息を払うために、また別の業者から借りまくる。結局払いきれずに悲劇を生む。子供までも巻き添えにした一家心中・離婚・退職などさまざま。昭和五十三年一月から、八月に至る間、サラ金悲劇による自殺者一三〇人、家出一五〇人。今やサラ金は大きな社会問題・自治省・大蔵省などが、その対策に苦慮している。
 (5) GパンとTシャツ
 GパンにTシャツ・髭・今やホテルだってレストランだって、このかっこうで、文句をいわれなくなった。健康で、楽しさあふれる感覚を、無理なくまかせるGパン・Tシャツ姿。
 もともとGパンとは、日本で作られた俗語で、木綿の綾織物で作ったパンツ。アメリカ人の仕事着であったが、ラフ(粗雑)な感覚が、若者に人気を得て、現代を代表するファッションの一つである。
    ジーパンに 藍を取られて 夏暑し
 Tシャツは、綿・ジャージなどで作られた襟なし短袖のシャツ、男女のアンダーシャツ・スポーツウェアであるが、最近は、プリントもの、長袖ものも出回り、若者のカジュアルウェアーとして人気がある。カットがシンプルで、Tの字のようであることから、この名が付けられたのであろう。
 (6) トレパン
 トレーニング=パンツの略、運動競技の練習に用うる足首まである長いパンツであるが、上衣をも含めて、トレパンという。正式には、スポーツ=ウェア・ウォームアップ=スーツであるが、トレパンの略称で通っている。生地は、ポリエステル・綿・色も多様、鮮やかなストライプ入り、一つのファッションである。運動競技はもちろんのこと、スポーツクラブのユニホーム・家庭着・子供の通学服、そして最近は、街着にまで、大流行した。子供から大人、男女の別なく。
 (7) 二〇〇海里時代(二〇〇海里漁業専管水域)
 一九四七年六月、南アメリカ、チリが世界で初めて、「二〇〇海里は、われらの海だ」と宣言した。沿岸国が領海(一二海里)外に二〇〇海里(三七〇・四キロ)にわたり、漁業資源保存を理由に、外国漁船による、漁業を規制する水域をいう。二〇〇海里水域の面積では、日本は世界の七番目の広さである。
 昭和五十二年(一九七七)政府は、二〇〇海里漁業水域法を公布した。
 二〇〇海里問題は、日本漁業の命運をきめるものである。日本は二〇〇海里実施国から、日本漁船の漁獲割当を受けることになった。
 この新しい事態によって、日本漁船は大打撃を受け、現漁獲量約一〇〇〇万トン、そのうち約四五〇万トンは、外国沿岸、二〇〇海里以内の水域で捕っている。漁業関係者だけでなく、日本にとって、国民的な大問題である。
 (8) Uターン
 人口の逆流である。高度経済成長時代、農村を捨てて都市へ走った人々が、経済成長の減速時代に伴い、さらには生活環境悪化をきらって、山村へ帰ろうとする傾向をいう。それのみならず、地方から都市の大学に来ている学生の半数以上は、自分の育った土地で暮らしたいと望んでいるという。
しかし、昔は、それぞれの家に、子供に継がすべき生業があったが、今はそれがない。サラリーマン化している。それゆえに、地方都市の市役所・町村の役場などに、若者が殺倒する。そうした限られた職場に失敗した若者は、また都会へ出て行かざるを得ない。それをOターン、又はQターンという。
 (9) 三種の神器
 昭和三十二年ごろから経済界は、好景気、神武景気という。電化製品の流行、特に、テレビ・電気洗濯機・電気掃除機を三種の神器として、値段の高いこと、仕事の解放で、主婦のあこがれのまと。
 昭和四十一年、カラーテレビ・クーラー・自家用自動車(一〇〇〇cc以上)を、新三種の神器ともいい、別名3C時代ともいった。
 (10) 家つき・カーつき・婆抜き
 昭和三十五年ごろの流行語、女子の結婚についての願望で、つまり、家があり、自家用自動車があり、しかも父母と同居しないことが条件。
 (11) 三ちゃん農業
 経済の高度成長に伴い、青壮年の農業労働力は、就職・通勤、出かせぎなどの形で農業から離脱し、農業は、じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃんの仕事となる。昭和三十八年ごろからの現象である。後に農作業の機械化が進み、二ちゃん農業、さらには、ノーちゃん農業とまでいわれるようになる。
 (12) 恍惚の人
 昭和四十八年有吉佐和子原作の小説の題名、さまざまな老人問題について述べている。昭和四十五年ごろから、クローズアップされた老人問題、これがこの小説により、一転して老人の代名詞ともなった。
 (13) 狂乱物価
 あらゆる物が、次から次へと波及的に価格が引き上げられ、その波及期間が短く、上げ幅が大きく、その落着きの見通しが立たないのをいう。そうした深刻な物価状況が目だった、昭和四十八年十二月ごろから使われだした。異常物価の最も異常さが目だったこのころの物価は、前年比二九%高。
 (14) オイルショック
 昭和四十八年(一九七三)十月、第四次中東戦争で、アラブ諸国のとった石油戦略で、最も大きな影響を受けたのは、日本である。
 基幹産業のほとんどを石油に依存している日本は、経済的に大打撃を受け、ついさきごろまで、昭和元禄の繁栄に酔っていたのが嘘のように一変した。
 街ではネオンが消えたり、テレビも放映時間の短縮、企業は原材料のストックに狂奔し、市場の需要は、ひっ迫し、石油不足による物不足がクローズアップされた。
 「トイレット=ペーパーがなくなる」といった噂にまどわされ、買いだめに走る主婦、一つのパニック状態である。
 (15) 円 高
 日本の「円」と、アメリカの「弗」との基準相場の歴史は、明治四年(一八七一)に始まる。当時の明治新政府は、大胆にも、一ドル=一円とした。
 昭和三十年(一八九七)、新たに貨幣法を定め、一ドル=二円、対アメリカ為替レートを、一挙に半分に格下げし、地金七五〇ミリグラム相当とした。その後、太平洋戦争の破局を経て、一ドル=三六〇円という、固定レート時代となった。
 そうして、昭和四十六年(一九七一)、円はドルに対して、一六・八八%切上がり、一ドル=三〇五円から、三〇六円の水準で推移した。その後円相場は、一九七六年から、円高基調に変わり、同年三月、三〇〇円を割り込んだ。そして昭和五十三年(一九七八)七月には、一九〇円台に円は高騰した。
 こうした円高は、日本から外国へ旅行する人は、得をするが、一方円高は輸出不振となり、いわゆる円高倒産も出ている。
 (16) 嫌煙権
 たばこの害があれこれ説かれるにつれ、昭和五十三年から、嫌煙権という新語が広がった。辺りかまわずたばこの煙を吐き出すのは、たばこを吸わない人には迷惑千万、嫌煙派の人々の気持ちが、この言葉で一気に吹き出した。
 昭和五十四年一月、杜(もり)の都仙台市の繁華街で、「路上は禁煙しきれいなまちに」のスローガンで、延長九〇〇メートルの禁煙道路さえできた。

愛媛新聞所載

愛媛新聞所載