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面河村誌

三 米相場の変遷

 豊葦原の瑞穂の国というのは、古来日本の美称である。それはまた農業国を意味し、稲は最も重要なる作物である。稲の原産地は、中国・印度・アフリカとも伝えられ、栽培は印度支那半島・印度・ベンガル地方という説と、中国に起源して、日本に入ったという説がある。
 米は主食であると同時に貨幣的にも重要な役割を果たした。
 「石高」とは、豊臣時代の検地によって決定された、米(玄米)の標準生産高の表示方式であり、松山藩一五万石・杣野村二五二石二斗二升・大味川一五一石三斗四升などである。また、「持高」や「知行」の大きさ(草高)を表し、大名・武士などの知行高をも表した。
 主食であった米は、その普遍的価値を有することから、大化改新(大化元年・六四五)前より、田租の中心となり、封建時代(鎌倉幕府創設・一一八五)より明治維新(一八六八ごろ)までは、租税の主体となった。
 しかしながら、和銅元年(七〇八)我が国に初めて貨幣ができている。「和銅開珎」と称し、銅銭である。こうした金属貨幣も、古代から穀物などの物品貨になじんできた庶民の間ではなかなか使われなかったようである。
 このように、米は国民生活の安危にかかわるもので、米価は他の物価の基準となり、その調整に苦慮し、他面重農政策を施したが、農民は、ただ単に、米の生産者としてのみ、その存在価値を認められるにすぎなかった。
 江戸時代(一六〇三~一八六七)各藩の蔵米は、米仲買人により入札され、その代価に「銀」を支払った後、米を処分する蔵屋敷に保管を託し、その米に対する証券を受け取った。これを「米切手」(米の預り証)といい、こうした倉庫を、米券倉庫といった。
 この米切手は、本来米が蔵にあるものに対してのみ発行されるものであるが、後には、米商人の投機的取引と、諸藩の財政的理由で、蔵にない米にまで発行した。前者を「正米切手」後者を「空米初手」「過米切手」と称した。そして、この米切手は、貨幣同様流通した。
 第一次世界大戦(一九一四~一九一八)が起こってから物価は高騰を続け、そのうち米価は、大正六年(一九一七)ごろから著しく高騰し、大正七年(一九一八)に入って、一升五〇銭を突破しようとした。大正七年八月三日、富山県下の漁村の主婦たちが、米を安くしてくれと叫んで蜂起したことをきっかけに、その騒動は燎原の火のように全国に広がった。世にこれを「米騒動」という。
 昭和十二年(一九三七)七月六日、中国北京郊外蘆溝橋事件に端を発して、日華事変となり、昭和十四年、米穀強制買入省令により、米穀出荷命令が発布され、昭和十五年大都市で、砂糖・マッチの配給制実施、昭和十六年四月、大都市で、米穀配給通帳制となり、外食券制度が実施された。
 米穀配給一日二合三勺、同八月物価対策審議会が、米価二重価格制による、米の増産政策を発表して、米の生産農家に奨励金を交付した。そして、昭和十七年食糧管理法が公布された。
 太平洋戦争終了後、昭和二十一年物価統制令が公布され、米価を基準として、その生産者価格一石三〇〇円、これを基準に、生計費・賃金を決定、五〇〇円生活として、生産配給を統制強化した。
 昭和四十四年九月、農政審議会が、米の生産抑制(減反)の総合農業政策を答申し、昭和四十五年一月、農林省は、米の調製配分つまり平均一一・二%の減反を提示、米の生産過剰時代に入った。
 食糧管理制度は、その内容を漸次変えていったが、米の統制は、太平洋戦争終了(昭和二十年)前後は、供出割当制により、昭和三十年以後は、予約買付制度になったが、政府が毎年決める価格で、無制限に買い入れ、これを消費者には、消費者米価で売り渡すのである。つまり、二重価格制度である。
 米の不足時代にできたこの制度は、昭和四十三年を境にして、米の過剰時代に入り、昭和四十五年から買入制限・減反が実施されていった。昭和五十三年度では、全国平均一三%が減反目標である。
 食糧管理特別会計は、生産者米価で、米を高く買って、消費者米価で安く売るので、毎年巨額の赤字を出している。昭和五十三年度は、この赤字七〇〇〇億円、これは、一般会計から繰り入れている。しかも、昭和五十二年十月の古米在庫量は、五七〇トン(古米の適正在庫量は二〇〇万トン)その保管費用は、一トン二万円である。
 昭和五十三年度政府の米の買入量は、一二五八万九〇〇〇トン、需要見込一一七〇万トン、つまり生産計画が、需要見込みを、八八万九〇〇〇トン上回ったので、昭和五十三年十月の在庫量は、六五万九〇〇〇トンである。
 昭和五十三年度生産者米価は、一万七二五一円(六〇キロ)、消費者米価は、一万四七七一円(六〇キロ)、その逆ザヤ、二四八〇円、しかもその管理費などを見込むとその逆ザヤは約六〇〇〇円になるという。
 米価の逆ザヤと在庫量の増加は、目下のところ避けがたい問題である。農家は、需要量に関係なく、せっせと米作りに専念し、消費者は、しだいに米を敬遠して、パン類に走り、農家に減反の調整をさせながら、生産と消費量に年間一〇〇万トン近くのギャップを出すありさまである。消費者からいえば、今の量の米はいらない。

米相場表 1

米相場表 1


米相場表 2

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米相場表 3

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米相場表 4

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米相場表 5

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米相場表 6

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