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面河村誌

第十三編 将来への展望ー就任中の思い出ー

 面河村は、藩政時代には松山藩一五万石久松氏の所領に属していましたが、明治四年廃藩置県により松山県に、さらに明治五年二月石鉄県、翌明治六年太政官布告第六〇号によって愛媛県が設置されました。当時は杣野村と大味川村に分かれていましたが明治二十三年一月町村制実施で合併し、杣川村と改称、村役場を村の中心部渋草地区に置くことになりました。
 昭和八年二月二十八日、面河渓が国の名勝地として国定公園に指定されたのをきっかけに、これにちなんで昭和九年一月一日村名を面河村と改称、本年で既に四十五周年を迎えることになりました。面河村は昔から農業林業を主体として村づくりがなされていましたが、国指定の名勝地に指定されたので急速に景勝の誉れが高く全国に知れ渡り、文人墨客等数多くの人々がこの地を訪れることとなりました。
 昭和四十一年には国民宿舎面河が建設され、三次産業としての観光産業がしだいに隆盛を加えてきたのであります。
 私は昭和二十六年四月初めて面河村議会議員として初当選の栄を得、それから連続五期、二〇年の間議決機関の一員として村行政の全般に対し参画の機会に恵まれたのであります。けれども昭和四十年代になっての面河ダム建設を契機に、八六戸三八〇余名の転出をはじめ、過疎化は激しく、全国でも有数の過疎町村となって人口は激減したのであります。過疎の中での村づくりは財政的にも極めて苦しいものがあり、私はこれらの実情を目のあたり見るにつけ、過疎と不況にあえぐ村民を救済するなんらかの方法はないものかと迷い苦しみました。これらの窮状を少しでも解決し、村民の危急を救いたい一心から、非力をも顧みず御奉仕しようと決意、昭和四十六年村長選に立候補したのであります。
 第一期目の目標達成
 県下青少年練成道場として第一号の面河少年自然の家を旧若山小学校に発足させ、さらにスカイライン土小屋終点にある国民宿舎石鎚簡易宿舎岩黒山荘を県より買収、さらに面河渓谷内の国民健康保健組合面河山の家の無償払下げを受け、国民宿舎面河の第二別館として営業開始に踏み切ったのであります。これらの経営開始によって直接参加する住民もまた約七〇名を数えるようになったのであります。
 その他独居老人対策としてホームヘルパーを導入し、さらに老人福祉対策として村内七十歳以上の全老人に年間四〇〇〇円を支給するという老齢年金支給条令を新設したのであります。また、村有財産育成の手始めとして東京都石丸忠富所有の下山一〇・三ヘクタールの買収を完了後にさらに八幡某の山一・八ヘクタールの接続地の買足しを行ってこれらの育成に取り組んだのであります。さらに住民体育向上のため、全村内公民館にナイター設備を完了したのであります。
 思うに第一期目は積極的な施策によって、おおむね初期の目的達成をなし得たのではないかと思うのであります。このような積極的な住民対応の姿勢が村民のかたがたの評価を得たものか昭和五十年の改選に当たりましては無投票当選という光栄をいただいたのであります。
 第二期の振興期を迎えて
 第二期目の最大の事業は台風五、六号により壊滅的な災害を被った大成地区の復旧作業と老朽化の激しくなった庁舎改築という開村以来の大事業に取り組んだのであります。
 災害については、大成地区をはじめとする公共土木五七件、農業土木一〇件、道路災害一件、合計六八件という多さに達し、総事業費二億一千数百万円という大事業でありました。しかし、これらは激甚災害の指定を受け、国庫補助率九八パーセントという高率の補助で村費支出率わずかに二パーセントという好条件に恵まれたことは不幸中の幸いといわねばなりますまい。さらに昭和五十二年度になって庁舎と併設の中央公民館を建設しようと、これに代わるコミュニティセンター全国五十二年度一一か所のうちの一つとしてこれが誘致に成功。これは、積極的な対県交渉のたまものであり、また、美川村当局の協同使用という型の御協力によるもので、その積極的な御協力に対し衷心より感謝と敬意を表明致す次第であります。おかげさまで庁舎コミュニティセンターの併設が認められ、四億五千万余の巨費を投じてみごとに完成をみたのであります。また、その玄関先に村行政の先覚者菅広綱翁、重見丈太郎翁の胸像がみごとに完成されましたことはまことに喜ばしく、村のシンボルとして永久に我々を見守っていただけるものと思います。これら一連の事業は私の在任中最も意義深き大事業であろうかと思います。
 また、村民産業の振興策として日本きじの飼育やあめごの養殖を導入致しました。現在続いて営業を行っているこれらの人々が、完全に地場産業として定着し、その業績をあげておられることはまことに喜ばしい限りであります。また、プラムの植栽・イチゴの生産・イチョウの植栽・花卉の栽培も徐々に軌道に乗りつつあることは、産業意欲の向上の上からも適切な指導ではなかったかと思うのであります。また、林業振興育成の上からも中核林業振興地域としての指定や第一次第二次林業構造改善事業の実施は、林業振興の上に大きく寄与し、住民の生活意欲が徐々に向上してきたことは、まことに喜ばしい次第であります。
 また、二期目最終年度に当たりましては住民を不慮の火災から守るために全村に消防塔載車の完備をみ、その機動力が著しく強化されたことはまことに喜ばしい限りであります。
 さらに全村無線放送の一元化により緊急事態発生の周知が容易になり、また、住民待望の歯科医師も美川村の御協力によりその実現をみるなど徐々に各種の実現をみたことは住民福祉の向上の上からも非常に重要なことであります。
 一方教育面におきましても、全村幼児教育の充実のため幼稚園の設置を実施して幼児教育の徹底を図ることができたことはまことに画期的な意義深いことであります。
 第三期目を迎えるに当たって
 昭和五十四年度統一地方選に際し三選の意思を表明致しましたところ、再度無投票再選の光栄に浴しました。このような暖い住民のかたがたの負託にこたえるためにも初心にかえり公平無私の行政を推進することをお誓い申し上げる次第であります。
 為政者は常に孤独に堪え、忍耐と勇気と決断をもって実行し推進せねばならないと思います。常に住民サイドに立ってよくその心情をくみ、物事を決断し実行するリーダーシップが必要であります。これからはさらに過疎は進み、所得の格差は増大し、農業・林業も一段と苦境に立ち資源エネルギーの制約によって観光人口も大幅なダウンを余儀なくされて参ると思います。その他政府におきましても赤字財政再建による地方自治体へのしわ寄せや、スタグフレーション、すなわち不況下における物価高克服の問題や、国民の五人に一人が六十五歳という高齢化社会への移行の問題等々、我々国民を取り巻く環境は決してよいものではありません。けれどもこの地に生を受けた以上この地を守り、子孫に継承して行かなければならない責任と義務があります。いたずらに過保護に陥り、これは人がしてくれるであろう、村がしてくれるであろうという甘え心はさっぱりと捨てて明日への目標に立ち向かい、ここに住む気とやる気と守る気を出してがんばり抜かねばならないと思います。村誌編纂の完成に当たり所信の一端を申し上げ、住民各位の絶大なる御協力に対し深甚なる感謝と敬意を表明致しまして御礼の御掟拶と致します。
(面河村長 中川鬼子太郎)