データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

面河村誌

あとがき

 「山の中でも三軒家でも住めば都よわが里よ」といわれるように、人は住みなれたところに強い愛着をもつものです。
 私たちの祖先は、遠い昔この地に住みつき生業に励み、子孫を育てながら生活の智恵を積み重ねて歴史と伝統を残しつつ文化をつくり上げてきました。
 わたしたちは、こうした祖先や先人の尊い足跡の一端を記録にとどめ、偉大な業績や文化を継承し、さらに努力して郷土の発展に寄与し、これを後世に譲り渡す義務と責任があるのではないかと思います。
 このような観点からわたしたちは、中川鬼子太郎村長の意志により、面河村誌編さんを企画したのであります。
 この編さん委員として資料の収集やまとめのために本務のかたわら、しかもほとんど夜間の作業となりたいへんな御苦労をされました村内各学校の校長先生はじめ諸先生がたの御努力はなみたいていのことではなかったことを想起し感謝に耐えません。
 また、半ばにして病のため最後まで執筆はできなかったものの、こつこつと資料の整理とその大綱を手がけられた中川武久氏の御努力に深く感謝と敬意を表します。
 さらにまた県史編さんの大事業に事務局長の大任をもたれ極めて御多忙の中で面河村誌の監修をいただき、本誌の価値を高めてくださった伊藤先生のお力添えに対し心からお礼を申し上げる次第であります。
 こうした周囲のかたがたの温かい御協力によって完成した村誌ですが、古い資料古文書の類は意外に少なく、残された手段は古老からの聞き書きに頼らなければならなかったため、真実を伝えられないこともあり、内容的に不備な点も多く、また、予算的制約もあって形式的にもかなりの無理があったことは否めません。これを一つの足がかりにして、後年またの機会に改訂補てんされることを願う次第であります。
  昭和五十五年二月
              面河村教育委員会教育長 高岡 幸盛