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美川村二十年誌

第三節 町村合併促進法

 文化の発達、とくに交通機関の発達によって、われわれの行動範囲がひろがってくる。そのことは当然、行政区画の拡大をうながすことになる。
 明治中期に、時代の要求にもとづいて町村制が実施されて一村の標準戸数を三〇〇戸ないし五〇〇戸としたため、愛媛県の藩政時代一〇〇〇余の小村は四分の一に整理されて一市一三町二八五村となった。その後大正・昭和と時代が進んで、昭和も二〇年代となると町村制の施行も六〇年前のむかし話となってきた。この長い期間には、しだいに行政区画の上にも変化が見られた。
 昭和二八年一〇月現在では市について見ても松山につづいて今治(大正九)、宇和島(大正一〇)、八幡浜(昭和一〇)、新居浜(昭和一二)、西条(昭和一六)と五市が生まれ、一二郡の下は四〇町一八八村となっている。また行政内治体であった郡制が大正一〇年に廃止されて郡長がなくなり、郡の名はたんに行政上、地理上の区画をしめすだけのものとなった。
 しかし、この行政区画ではまだ小さすぎる。六〇年前の市制町村制のような画期的な政策を打出す必要があった。たまたま昭和二四年に、占領軍治下の日本の税制調査にやって来たコロンビア大学のシャープ博士が日本の実状を見て、「日本では地方自治をもっと尊重しなくてはならない。住民に直結する市町村は最も大切であるから、国と地方団体でやっている仕事全部を再検討して、市町村でやれる仕事は全部これにまかせた方がよい。そのために市町村を、多くの仕事をさばき切れる能力を持つ団体に育て上げる必要かある」、と政府に勧告した。
 そこで政府は、各方面の有識者を選んで地方行政調査委員会を作って研究を重ね、アメリカの地方自治の状況も視察し、二五年一二月に、
 一、地方団体に国よりも優先的に多くの仕事をやらせるべきであり、府県よりも市町村を優先すべきである。
 二、そのために町村の規模を人口七〇〇〇ないし八〇〇〇とすべきである。
 という結論を得たので、地方自治庁は各都道府県に対して町村合併を進めるように通達した。
 昭和二五年の調査では全国に一万〇一六六町村があって、人口五〇〇〇以下の町村が七〇%を占め、そのうち二〇%は人口二五〇〇以下という状況であった。
 二八年九月に町村合併促進法が衆参両院を全会一致で通過した。実施期間を二八年一〇月から三一年九月末日までの三年間とし、町村数を現在の三分の一にへらすことを目標とした。
 愛媛県の町村数は昭和二八年一〇月一日現在で二二八、人口一〇九万六五三六人、一町村平均人口四八〇九人、面積二三・六平方㌔であった。また人口段階別に見た町村数は五〇〇〇人以下一五四、五〇〇〇人以上一万以下六四、一万以上二万以下一〇、となっていた。町村数二一一八を郡別にみると、
 宇摩郡 二二  新居郡 七    周桑郡 一六  越智郡 三四  
 温泉郡 二五  上浮穴郡 一一  伊予郡 一四  喜多郡 二六
 西宇和郡 一七 東宇和郡 二〇  北宇和郡 二九  
 南宇和郡 七
であった。
 県は自治庁に対して二八年度に二二、二九年度に九四、三〇年度に一四、三一年度に一四、計一四四町村をへらすという合併計画を提出したが、県自体としては別に二八年度に一九、二九年度に一二七、三〇年度に一三、三一年度に一三、計一七二町村をへらせる腹案を持っていた。
 いよいよ実施段階にはいり二八年度はぎりぎりの三月末日付で宇摩郡七、越智郡六、温泉郡一、東宇和郡八、計二二の減少、二九年度は宇摩郡一二、新居郡四、周桑郡六、越智郡二、温来郡五、上浮穴郡四、伊予郡九、喜多郡二一、西宇和郡二、東宇和郡七、北宇和郡一七、計一〇七を減少させるという成果をあげた。しかし三〇年度となると難しいものが残って周桑郡四、越智郡一、温泉郡五、計一〇を減少させた。この三〇年度に合併が捗らなくなったのは全国的な現象だったので、政府は三一年三月に新市町村建設促進法を出して、合併の進捗強化を期している。
 三一年度は新居郡二、周桑郡二、越智郡一、温泉郡三、西宇和郡一、北宇和郡一、南宇和郡二の計一二を減少させ、報告計画の累計一〇五%の実施を見て予定期間を終った。しかし実際には国も県も事務がのびて、三二年度一(東宇和郡)、三三年度八(温泉郡二、上浮穴郡二、北宇和郡四)、三四年度三(温泉郡二、新居郡一)、三六年度一(温泉郡)、三七年度一(温泉郡)、三七年度一(温泉郡)の減少数があり、町村減少累計一六五となって、報告計画の一一五%、県の腹案の九六%弱の成績をあげた。いま町村合併実施のあとを表示すると次のようである。
  郡名  合併前町村数   合併後市町村数
      (町)(村)   (市) (町) (村)
 宇摩群   五  一七    二   一   二
 新居郡   三   四        〇   〇 
 周桑郡   三  一三        四   〇
 越智郡   六  二八        九   六 
 温泉郡   二  二三    一   三   二
 上浮穴郡  一  一〇        二   三
 伊予郡   五   九    一   四   一
 喜多郡   三  二三    一   四   一
 西宇和郡  二  一五        五   〇
 東宇和郡  二  一八        四   〇
 北宇和郡  四  二五        五   二 
 南宇和郡  四   三        四   一
  計   四〇 一八八    五  四五  一八 
 合併前の二八年一〇月と、合併後の三七年八月を比較してみると、町村数二二八が六三となって三分の一以下にへり、一町村当り人口四八〇九人が一万一三八三人となって二・四倍、一町村当り面積二三・六平方㌔が六三・八三平方㌔となって二・七倍にふくれあがった。また新しく大洲市(二九年九月)、伊予三島市(二九年一一月)、川之江市(二九年一一月)、伊予市(三〇年一月)、北条市(三三年二月)の五市を誕生させ、これまでの松山・今治・宇和島・八幡浜・新居浜・西条の六市もそれぞれ市域を拡大して面目を改めた。また新居郡は全町村を新居浜市と西条市に編入して姿を消し、愛媛県は二市二郡四五町一八村となった。