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美川村二十年誌

第一節 二ヵ村半合併への経緯

 当初、県の方針では、面河村・仕七川村・弘形村・中津村・柳谷村(当時川下五ヶ村と総称された)の五ヶ村合併の構想を樹てたが、その後、面河村は合併不可能として脱落し、残り四ヶ村合併を推し進めたが、結局はその四ヶ村がさらに新村二ヶ村、即ち美川村と柳谷村に分離して誕生を見たわけである。その経緯は、おおよそ次のようなものであった。
 1 合併促進協議会の設立とその活動
 昭和二九年二月二二日に弘形村、同年同月二八日中津村、同年三月五日仕七川村がそれぞれ臨時村議会を開催して、仕七川村・中津村・柳谷村・弘形村の四ヶ村合併促進協議会を設けることについて同協議会規約とともに議案を提出、同日原案通り議決されたが、その規約とは次のとおりであった。
 町村合併促進協議会規約
  (協議会の目的名称及び協議会を設ける町村)
第一条 この協議会(以下「協議会」という)は、仕七川村、中津村、柳谷村および弘形村(以下「関係町村」という)合併促進協議会と称し、関係町村が町村合併促進法第五条の規定に基づいて、町村合併に関する必要な調査、新町村建設計画の策定、その他合併に関する協議を行うことを目的として設けるものとする
  (協議会の担任する事務)
 第二条 協議会は左に掲げる事務を行う、
  一、町村合併に関する必要な調査
  二、町村合併促進法第六条第一項に規定する新町村建設計画の策定その他町村合併に関する協議
  (協議会の事務所)
 第三条 協議会の事務所は、愛媛県上浮穴郡柳谷村大字柳井川五百番地第一柳谷村役場内に置く、
  (組織)
 第四条 協議会は会長及び委員三十五人をもって組織する
  (会長)
 第五条 会長は関係町村の議長および長が協議して定めた村長をもってこれに充てる
  2、会長は非常勤とする
  (委員)
 第六条 委員は左の者をもってこれに充てる、
   一、関係町村の議会の議長及び副議長、
   二、関係町村の議会の選任した議員各二人、
   三、関係町村の長及び助役、
   四、関係町村の長がその協議により定めた関係町村の職員一人、
   五、関係町村の区域内の公共的団体等の役員及び職員並びに学識経験者で、関係町村の長がその協議により定めた者八人、
  2、委員は非常勤とする、
  (会長の職務代理)
 第七条 会長に事故があるとき、又は欠けたときは、会長が予め指定した委員が、その職務を代理する、
  (会議の招集)
 第八条 協議会の会議は、会長がこれを招集する、
  2、会議の開催の場所及び日時は会議に付議すべき事件とともに、会長が予めこれを委員に通知しなければならない
  (会議の運営)
 第九条 協議会の会議は、委員の半数以上の者が出席しなければ、これを開くことができない、
  2、会長は協議会の会議の議長となる、
  3、協議会の会議の議事その他会議の運営に関し必要な事項は協議会の会議で定める、
  (職員)
 第十条 協議会の担任する事務に従事する職員は関係町村の職員の中から関係町村の長が協議して定める、
  (協議会の経費)
 第十一条 協議会に要する経費の負担額支出方法、その他必要な事項は関係町村の長が協議して定める、
  (雑則)
 第十二条 この規約に定めるものの外協議会に関し必要な事項は関係町村の長が協議して定める、
  附 則
   この規約は昭和 年 月 日から施行する
 以上のように定めたので、この規約第六条の委員として次の者が選出された、
 弘形村村長 土居 通栄  議長 城山 元
 その他 黒川 兼市  城山 守恵  平柳 進  山下 伝三郎 山本 利秋  水本 福弥  中山 親之進
 中津村 村長 政木 茂十郎  議長 石村 重  堀尾 好光
 その他 西野 雅一  西本 直行  渡部 一加  伊藤 幾太郎 古田 儀照  土居 敏雄
 仕七川村 村長 吉岡 好吉  議長 新谷 優
 その他  坂本 素行  猪上 正度  新谷 善三郎  団上 貢 高橋 末吉  佐藤 計三郎  長岡 道一
 柳谷村 村長 永井 元栄  議長 兼井 兼太郎
 その他 永井 栄澄  長谷 善次郎  正岡 勝次郎 三好 力松 近沢 政弘  小坂 卯太郎  高橋 強
 ここで一応陣容が整ったので、続いて各村毎の実態調査に移ることとし、昭和二九年二月一日現在を調査時点として調査を始めたが、その調査は多方面に亘っているので、時日を要したが、結局次のようにまとめた。
 これよりさき、昭和二九年二月一三日に柳谷村役場において関係村の村長・助役・正副議長・学識経験者による研究協議会を開催し地方事務所長鷲野鱗太郎を中心に研究討議、同年三月一六日弘形村において第一回町村合併促進協議会(以下協議会と呼称する)を開催、永井元栄柳谷村長を会長に選任して会が運営された。この会に面河村からは村長以下三名がオブザーバーとして参加、その他の四ヵ村は殆んどの委員が出席したが弘形村は村長以下五名であった。この会合では吉岡仕七川村長の提案により、専門分科会の設置が採択され、当日総務部、建設部、産業経済部、教育部の四部門を設け、それぞれ九名宛の委員が配置され、各村長が委員長に就任した。
 尚、この会合で第二回協議会は実態調査の終了を四月末と判断して、五月中に開催することを約して散会した。然し五月に入っても開催の運びに至らず、五月一二日、一三日の二日間、広域村で知られる高知県梼原村へ現地視察のため出張した。
 同年六月一九日、上浮穴郡町村会館に各村の村長、助役議会議長が参集して合併協議、続いて同年七月一日、仕七川村会に地方事務所長松野競朗の出席を求め、町村合併の説明を聴いたが、この頃より合併の気運はかなり盛り上がりを見せるに至った。一〇月四日、やっと第二回の協議会が柳谷村役場で開催された。その時の各村の意向は次のようなものであった。
 柳谷村は合併は賛成であるが、役場位置は柳谷村落出の現柳谷村役場とすること、又弘形村は四ヶ村合併は不可能としても、三ヶ村の合併は可能と考えられるからその方向に努力すべきだとし、中津村は村を二分して、柳谷村と弘形仕七川両村に分村合併を決定しているとし、仕七川村は一〇月二〇日迄に方針をきめたい、として態度を保留した。
 これまでに柳谷村の意向はおおよそ承知していたが、この会において役場位置を固執する同村の条件がはっきりしたので、柳谷村、中津村の川下半分を除く二ヶ村半合併によるの外ないものとなり、事実上は袂を分つ事となったが、四ヶ村協議会はそのまま存続することとした。
 その間七月二二日にも村長、助役、議長による会議が持たれたが進展はなかった。ここで仕七川村としては一〇月二〇日の態度表明の必要があるので、一〇月一八日議会議員、仕七川村内各種団体役職員等を集めて公聴会を開催した。その結論は、地縁・血縁並びに現在までの友好関係からして面河を加えて合併すべきであるとし、更に四月三一日の村会に於て、面河村との合併交渉委員として、村長吉岡好吉、議長新谷優及び元老新谷善三郎、水元市松の四人を選任し、交渉を開始したが、結局は徒労に帰した。
 時は流れて一二月一六日、第三回協議会が仕七川村で開かれたが柳谷村の態度は変らず、中津村は同村二分説をとなえ、弘形村はこれに同調して二ヶ村半合併を基調とし、面河村に対しては同村自らの意志決定がなされたとき、その受入れをしたい、との意向であった。仕七川村は面河村も同一歩調で合併したいと主張した。この会にも面河村長の出席があったが、面河村としては現段階では態度保留のやむを得ない状態である、との発言であった。

戸口

戸口


面積・合併前後の見込予算比較調

面積・合併前後の見込予算比較調


合併前後の税率負担額

合併前後の税率負担額


合併前後の村税負担増減比較表

合併前後の村税負担増減比較表


土地及建物

土地及建物


負債に関する調

負債に関する調


職員調 仕七川村

職員調 仕七川村


職員調 中津村

職員調 中津村


職員調 柳谷村

職員調 柳谷村


職員調 弘形村

職員調 弘形村