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美川村二十年誌

第一章 行 政

 昭和三〇年三月三一日の合併以来「村民融和」を村是として、新村建設計画にもられた方針を着々実行に移して行った。
 いま改めて「新村建設の基本方針」を回顧し吟味してみると、それは本村が急傾斜の山岳地帯に立地し生産性が低いという宿命を背負うており、この悪条件を克服する特殊産業の基盤を確立することを主眼としている。そのためには水路・溜池・井堰などを増設して食糧自給策を講ずるとか、草生地を利用して畜産を推進するとか、広範囲を占める山地の植林化を図ることが謳われ、また農林道・橋梁を改修して住民の利便を図ることの必要も述べられている。そして、その根本を教育におき、特に社会教育を振興して勤労意欲の昂揚とか消費生活の経費節減をはかることに目覚めさせることを期待している。
 合併後二〇年の社会情勢の変動は甚しく、全く当初に予期しないものがあった。本村の行政は基本方針の指向するところにしたがいつつ、新時代の要請を検討して、これに即応して一歩一歩堅実な歩みをつづけて来た。それは合併によって高められた自治協同の意識に基づき、全村民と関係機関の分担協力によるものであったことは論を要しない。以下、項目を分って二〇年の行政の足あとをたどってみたい。