データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

美川村二十年誌

第二節 国土保全

 昭和三三年に地すべり防止法が制定され、それまであまり行なわれなかった地すべり地帯の防災工事が本格的に実施せられるようになった。
 以前は、防災的な工事は至って消極的であり、工事は皆無に等しく、地すべり災害などは天災としてあきらめられていたが、昭和四五年ごろよりこれらの災害も行政面での責任に問われるようになった。
 そこで、防災事業は大きな課題となって、その事業費においても巨費を投ぜられる事になった。村内においては一一地区が防止地域として指定され、累計事業費は一億六,八〇〇万円にも及んでいる。
 いっぽう砂防法によって施行される事業においても、前記事業とともに重視され、主に砂防堰堤に至っては昭和三○年以来実に一五ヶ所が施行され、その事業費は一億七,四〇〇万円となっている。
 災害復旧工事は道路・河川など数多く行なわれているが、なかでも著しいものとしては昭和三八年の台風により、大川上組に山崩れが発生して、下流の豊久では河川が左岸側に新しくできあがった。そのため旧河川の復旧をあきらめて敷地を新旧交換することになった。この新しい河川の整備工事費は、二,六〇〇万円を費した。これを機に、大川の河川については両岸を大部分復旧し、また橋梁についてもすべてが永久橋とされ、様相が一変した。
 土木工事は昭和三五年ころまでは旧来の方法で工事が行なわれていたが、このころより美川村の建設業者でも予土建設株式会社がブルドーザーを始めて入手し、機械化の時期が到来した。その後、次々と建設業者が機械化に切り替えて今では八業者すべてが大小を問わず重機械を整備するようになった。つるはしや、大八車の姿は見られなくなり、土木工事も機械化し大型化されてきた。昔いわれた「土方殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」と云う言葉は、今ではもう通用しないものとなった。

地すべり防止地域指定工事施行状況

地すべり防止地域指定工事施行状況