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美川村二十年誌

二、仕七川郵便局

 町村合併により槇谷部落は久万局へ、程野部落が美川局から移管され、人口二、六六八人・世帯数六九八世帯・面積四七平方㌔を四区としている。外務員八名が日々集配、貯金保険集金・電報速達配違に従事、すべて機動化し、夜間並びに日曜休日の電報速達の配達は請負者で行われている。郵便物の逓送は人夫逓送から乗合自動車託送となって三三年間も行われていたが、昭和四七年九月に待望の日本逓送便による赤い郵便車の運行が開始されて一日速い郵便物の配達となった。電話については昭和八年に開始され二加入であったが、その後順次普及し昭和四六年には村当局により区内地集電話二七四個の新設をみて、昭和四八年一一月には加入者数四〇一個と驚くべき交換業務となり定員も一七名となった。区内の人口・戸数は年々過疎化の現象をたどり、昭和四七年九月集配区は一区減となり三区になった。昭和四八年一一月には四〇年間にわたる電話交換業務もダイヤル化のため久万電報電話局に集中され、局員も局長以下一三名となった。しかしながら郵便事業は経済界の変動と文化の進歩にともない、郵便物も年毎にその数を増し、切手売さばき所も八ヶ所に増設して「文化の里」美川村の発展と区内住民に常に安定したサービスを行なっている。
  歴 代 局 長
  初 代  黒 川 芳 徳
  二 代  新 谷 米三郎
  三 代  新 谷 善三郎
  四 代  古 川 鹿太郎
  五 代  古 川 通 董
  現 在  菅 甲 子 良