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美川村二十年誌

二、合併当初

 新美川村が発足し、旧各村の教育委員会は解消し、教育長代理に、木下久敬が、県教育委員会の発令で、新村教育委員会発足までの間その任にあたった。当時の教育委員会の事務所は、合併取決め条項により旧仕七川村役場(新村後は仕七川支所)であった。
 昭和三〇年五月一日に、教育委員会委員の選挙が行なわれ、四人の新委員(吉岡好吉、元川鼎造、伊藤忠興、岡田勝)が無投票で当選し、議会選出委員は同五月四日の村議会で、黒川未千夫が選出された旨、城山議長より教育委員会へ報告された。
 昭和三〇年五月九日に、新村発足後最初の教育委員会が、当時の大上幸雄上浮穴教育事務所長や土居通栄村長並に村内小中学校長、定時制仕七川分校主任等の出席のもとに開催された。そして教育委員長に吉岡好古、同職務代理者に黒川未千夫を選任し、つづいて委員の席次や、委員会規則・規定が定められた。
 定例会は毎月一〇日と定め、初めての村内各学校視察の日程が決められた。
 その後、昭和三一年一〇月一日の、法律改正による任命制教育委員までの間、新村発足当時の教育行政を推進したのである。