データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

美川村二十年誌

五、黒藤川小学校

 合併により本校は美川村立黒藤川小学校と改称された。従来、黒藤川小学校の校区であった稲村部落は柳谷村に合併して柳井川小学校に転出したため、児童数約四〇名減となり、複式を持つ形勢となる。しかし三一年一月に美川南小学校区であった栄重部落が本校の通学区に変更されたため、複式はまぬがれた。
 三二年末よりピアノ購入の話が持ち上がり、一年後にその実現をみる。三三年二月一三日にピアノ開きを実施した。運動場拡張工事に取りかかり、五月二五日竣工の運びとなった。三四年度、便所改築の工事に取りかかる。本校の便所は調理室と並んでいて不潔であるし、危険でもあった。新便所は校舎南側へ同年一〇月一五日その落成をみる。
 三六年度簡易水道が完成。寒冷地の冬は寒風吹雪が廊下教室に吹きこみ、教育にも支障を来たす有様であったので土間廊下の外側にガラス戸を入れる。三七年九月二〇日、郡図工科研究会の会場校となり図工科のレベルが一段と上がった。この年運動場の一角に職員と全児童の手による馬の模型が出来上がる。ゆとりのない校地のため殺風景であったが、これでやや学校らしいふん囲気となる。三八年九月二日、永年懸案の運動場鉄骨金網柵完成する。同日面河第一発電所の奉仕作業と鉄材寄贈並びに卒業記念としての小鳥の家も完成する。一〇月一六日ミルク給食を開始する。四〇年三月、学校通学路完成。同時に天野建設寄贈の校門が出来上がる。このころより児童数激減し、学校はやがて複式をもつ小規模となる。一〇月一日、郡国語研究会の会場校となる。この頃、習字熱盛んとなり、郡展県展にもたびたび入賞する。九月六日より完全給食開始の運びとなる。この年、校舎裏の池を埋めたて、職員室前へひょうたん型の小さい池を造る。
 四一年度、児童数ついに七七名となり、一・二年生が複式となる。四二年度、更に児童減となり、一・二年と三・四年、二つの複式となる。この年夏休みを利用して、四・五年生の中島臨海学校を開く。また「小さな親切全国運動」に全校参加して児童に小さな親切運動を浸透させるべく努力する。
 四三年度、教員一名増配され、複式は一つだけとなる。この年いまだかつてない大きな研究会、愛媛県教育研究大会へき地部会の会場校となる。「へき地小規模の特性を生かした学校経営はどうあるべきか。」のテーマのもとに全職員一丸となって研究し、一〇月三〇日の大会は大成功であった。その後、他県からの参観者が時々訪れるようになる。
 四四年度、五・六年が複式となる。この頃よりPTA活動も活発となる。参観日の出席率は毎回、九五パーセント以上の好成績を示す。四五年度図工研究会。六個学級となり複式は解消される。焼却炉完成、校舎増灯する。四七年度郡道徳研究会。この年、級外教員の配置を受け、専科制をとる。四八年度、校内は活気に充ち、児童は意欲的に学習に取り組むようになる。この年、飲料水の簡易水道施工完了する。一〇月七日、郡地教委校長会主催の合同訪問が開催される。その外照明設備の改善・黒板灯の設置・教室用ストーブは全部灯油式とする。郡音楽会に出場。

黒藤川小学校 校章

黒藤川小学校 校章


黒藤川小学校校歌

黒藤川小学校校歌


学級編成沿革

学級編成沿革