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美川村二十年誌

一〇、上浮穴高等学校定時制分校

 昭和二三年九月七日に〝働きながら学ぶ〟勤労青年のための高等学校定時制課程の設立が決定した。これは第二次大戦後の日本の新教育政策中のヒット版と歓迎された。当時の文部省の係官の言をかりると、
 日本が四つの島にとじ込められ八、〇〇〇万もの国民がどうして食って行くかという現在では国民全体が働かなくてはならない。勤労と学業を身につけることは全日制でも考えるべき事である。働く中に知性がにじみ出てくる定時制こそは現在の日本学徒に最もふさわしい学習形態であり、定時制教育が一寸高くなることによって日本が一寸高くなる。
という意気込みであった。上浮穴高等学校でも久万の中心校の外、仕七川・御三戸など五分校を地元の要望にこたえて九月から一〇月にかけて順次開校した。
  僕らの前には道はない、
  僕らのうしろに道はできる、という開拓者的精神を持った有為な青年を卒業生として多数社会に送り出すことが出来た。しかし時代の動きは次第に生徒数の減少となり、遂に二九年の面河分校の生徒募集停止を始めとして、三一年御三戸分校、三二年仕七川分校も停止となりやがて廃校となった。その間、御三戸分校二六名、仕七川分校五二名の卒業生を得た。

年度別定時制生徒数

年度別定時制生徒数


年度別定時制卒業生徒数

年度別定時制卒業生徒数