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美川村二十年誌

第三節 学校保健

 学校保健は明治五年の学制発布に始まり、明治三一年はじめて公立学校に学校医が登場して学校衛生という名で児童・生徒の保護が与えられ、教育の進展と共にその実践活動の役割をするようになった。昭和二二年教育基本法、次いで昭和三三年に学校保健法が制定せられ、時代の流れに伴って体制が整備されて来た。養護教諭は昭和二一年四月からはじめて仕七川小学校に配置されていたが、四八年四月美川西小学校・四九年四月黒藤川小学校にも配置され、現在三名の養護教諭が、学校内における保健及び衛生面の指導にあたっている。また順次保健面においても改善されて来ている。学校医による内科・歯科・眼科の検診もおこなわれるようになり、児童生徒の健康ならびに体位の向上につとめている。これにより過去に多かったトラホーム・中耳炎・身体薄弱・寄生虫病・結核が少なくなったが、反面、テレビ普及等の影響もあって近視がふえ、またう歯の未処置者が多くなっている。寄生虫検査・尿検査も毎年行なわれ、水質検査も定期的に行ない、良い水が飲めるよう配慮されており、児童生徒の体位も健康管理・学校給食などにより目ざましく向上して来ている。