データベース『えひめの記憶』
美川村二十年誌
三、伝染病
伝染病については合併以後も年中行事のように赤痢の発生を見ていたが、別表のように三七年には二七人、三八年には三〇人となり、四〇年には四〇人とふえ、四一年には四六人と集団発生して隔離病棟も全員収容することができず、また病棟の火災等も重なり、急きょ役場前の中央集会所を隔離所として患者を収容して治療にあたるとともに、全村的な消毒を実施し衛生面での指導の強化を図ったのである。
その後、衛生思想の向上と伝染病の発生源である蚊・はえ・ねずみ等の撲滅(村が無償で各世帯へ薬剤配布)による生活環境の向上によって、村内はもとより上浮穴郡内においても四二年以後伝染病患者は一名も発生していないことは、県下でも注目されている。これは住民の保健衛生に対する深い理解と、久万保健所や村の指導よろしきによるものと考えられる。
薬剤配布状況(昭和四八年度)
乳剤 発生源処理 一戸当り一八〇㏄(四月と七月配布)
粉剤 室内外散布 一戸当り五〇〇g(四月配布)
油剤(フマキラー) 成虫駆除 一戸当り三五〇㏄(六月配布)
殺そ剤 ねずみ駆除 一戸当り一〇〇g(一一月配布)
総経費 七二万七、五〇〇円