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美川村二十年誌

三、ごみ処理

 「川にごみを捨てないようにいたしましょう」の実践目標をかかげて、自然環境を美しくする運動を展開していたが処理施設がないため、かけ声のみに終っていた。
 しかし、時代の流れと共に処理施設の建設を望む声が強く、村でも検討を重ねていたが、単独とするには膨大な費用がかかる。そのため四六年度から川下三ヶ村(美川村・柳谷村・面河村)の共同処理施設の話し合いを進めていたが、たまたま久万町が設置している焼却炉が老朽化したため、この際郡内全体が一部事務組合を設立して大型の焼却炉を建設しようとの気運が盛り上った。まず先進地を視察研究し、四七年度事業として国庫補助を受け、五、六二七万二、四〇〇円の費用を投じ、四八年五月に松山市に本社のある東予築炉の手によって一〇㌧炉二基をそなえた近代的な焼却炉が完成し、七月から操業を開始した。
 本村をはじめ、川下三ヶ村でごみ収集車(二㌧積・ガソリンエンジン・ダブルタイヤ付ダンプ車)を県の半額補助により一四〇万円で購入し、週二回制で収集業務を開始した。これまでのように河川等に放置されるごみも余りみられず大変美しくなった。また、不燃物の収集については、四八年四月から収集を始め、面河村土泥にある終末処理場で処分していたが、事務組合のごみ処理場の付帯施設として強力なビン粉砕機・カン等圧縮機を七〇〇万円の費用で設置し、四九年四月から運転を開始した。