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美川村二十年誌

三、正覚山光明寺(しょうかくざんこうみょうじ)

 美川村大字日野浦甲一二六七番地。一〇五代正親町天皇の末期、船草出羽守源昌綱によって建立されたが、天正一〇年(一五八二)に天徳寺(松山市御幸)の雲巌和尚を請じて中興したことによって開山となる。建立当時は松原寺とよばれ、日野浦の松原八社神社に神仏混淆で祭られていたが、明治初年に分離して当地に移転し、光明寺と改名。本尊は薬師如来(西京住人藤原義照作)で、釈迦如来・達磨大師像も安置されている。
 宗派は臨済宗妙心寺派である。安政五年(一八五八)九月一〇日と明治一〇年(一八七七)に再建。儀式や行事としては、毎月一日と一五日の祝聖、三月二一日の春季彼岸会、四月八日の花祭、四月一五日の大般若会、八月一五日の孟蘭盆会、九月二三日の秋季彼岸会。一二月八日の成道会のほかに、虫祈祷、観音講が行なわれる。檀家は合併前後には三〇〇戸ほどあったが、現在では二一○戸に減り、四月八日の花祭と虫祈祷や観音講のほかには、殆んど参拝者がない。