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美川村二十年誌

四、美川スキー場(大川嶺)

 昭和三五年頃から愛媛大学助教授山内浩を長とする同大学探検部の調査により、東西二五㌔におよぶ四国カルストが全国に紹介され、三九年三月県立自然公園四国カルストが誕生した。
 この四国カルストの中で特異な存在として知られているのが美川スキー場で昭和三五年に愛媛山岳会・国鉄バス・愛媛新聞社・県スキー連盟(当時、県スキー会)・大谷部落の協力により開発された。南国スキー場としては降雪状態も比較的恵まれており、交通の便もよい関係で関西有数のスキー場となりつつある。スキー場は美川嶺・美川平・中央ゲレンデと三ヶ所に区別され、面積約一〇〇㌶、中心は美川平と中央ゲレンデである。三六年にはスキー場の拠点として国鉄山の家が建設され、続いて美川荘(建設費二〇〇万円)、公衆便所貸スキー事務所(建設費一二〇万円)診療所(現スキー合宿所)・松山商大・愛媛大学の山小屋、関印刷会社職員保養所が建てられ、観光地としての基盤がしだいに整備された。昭和四〇年にスキーヤー待望のスキーリフト(六一三㍍、建設費一、六〇〇万円)が完成しスキー場管理事務所も新設された。宿泊、食堂も民間経営による大谷荘、大川嶺荘、美川観光会館が完成し、またマイカーのための駐車場(現第一駐車場)も完備された。その後、スキー場まで道路が延長されたのを機に、四三年第二駐車場(建設費一六〇道整備二四〇万円)も整備され、ナイター施設・水道施設等も完備され冬期の観光地として発展している。今後さらに美川嶺・美川平の本格的な開発が期待される。
 美川嶺を中心としたスキー場は、夏期は絶好のキャンプ場に衣替えする。谷のせせらぎと小鳥のさえずりに目をさまし、雲海を見おろしながらの日の出を拝み、また夕やみせまる頃の石鎚山の勇姿を望むと、まさに別天地に遊ぶ感が深い。年々多くのキャンパーが訪れている。
 美川嶺・大川嶺・笠取山にかけての草原一帯は国営牧場として昭和四七年から工事が進められているが、完成後は観光と畜産を併せての観光地となるであろう。
 美川嶺一帯にある高山植物は、学者によると高山植物の宝庫であるという。嶺一帯に群生してい る「つつじ」は今後大きな観光資源となるであろう。また四八年より林業構造改善事業の一環としての森林利用事業が完成すれば、春は新緑・つつじの花道、夏は納涼、秋の紅葉、冬のスキーと四季を通じての広域観光地の拠点となるであろう。