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美川村二十年誌

五、青年訓練所

 第一次大戦後の軍備縮少で現役兵在営年限の短縮にともない、弱体化される兵力を補充する必要にせまられた。そこで政府は軍隊外における男子青年に軍事教育を施す施策として、大正一五年四月二〇日「青年学校訓練所令」を公布した。
 そこで、弘形第一尋常高等小学校と弘形第二尋常高等小学校に青年訓練所が併置され軍事教練を課すことになった。訓練所の教科は農業補習学校の学科を充当し、在郷軍人が教官となり軍事教練を週二日実施し、他の教科は小学校訓導が指導していた。
 毎年一二月には、松山連隊の佐官級を査閲官とする教練査閲があり、軍国主義の時代へと進んでいった。