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美川村二十年誌

二、上浮穴高等学校御三戸分校

 学制改革により愛媛県立上浮穴農林学校は上浮穴高等学校となった。やがて働く青少年達への教育の機会均等の声が高まり、関係機関への働きかけによって、昭和二三年九月上浮穴高等学校の校舎を併用する中心校のほか、直瀬・面河・仕七川・御三戸・柳谷の五ヵ所に分校を持つ修業年限四年の定時制高等学校が開校された。
 御三戸分校は昭和二三年九月二七日、弘形村久主ノ下、弘形中学校内に併設され、勤労青年の殆んどが希望にもえて入学した。
 開校当初は交通の便を考慮して、弘形第二小学校に日野浦分室を設けたが、弘形中学校の校舎落成と生徒数の減少により、同二七年廃止され、御三戸分校の独立校舎に通学することになった。
 しかし、全日制高等学校への入学者の増加と中学卒業者の村外就職が増加することにより、入学者が激減してきたため、同三一年一月一九日に三一年度よりの生徒募集を停止し、同三二年度の在学生を久万の中心校に通学させることとして廃校となった。幾多の有能な卒業生を出し、地方教育の向上と青年育成の上に多大な貢献をした。

上浮穴高校御三戸分校生徒数

上浮穴高校御三戸分校生徒数