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美川村二十年誌

第一節 道路交通

 国道三三号線が村の中心部を南北に縦貫し愛媛・高知を結ぶ重要な交通路となっている。昭和四二年八月には全線が改修舗装され、幅員も六・五㍍となり、年々増加する自動車の往来に、文化の導入に、物資の運搬に大きな役割りを果たしてきた。またこの国道を起点として重要地方道も開発されてきている。
 当地方で最も古くから利用された道は、伊予から土佐に通ずる土佐街道と、落合から真弓峠を経て大洲へ至る大洲街道である。
 土佐街道は松山札の辻に始まり、久谷町坂本から三坂峠を越え久万・野尻・菅生を経て本村有枝・程野から七鳥に抜け、熊野神社の前から面河川を渡り、高山を通って猿楽を越え土佐の川口に至る線で、土佐への最短路線である。本村の有枝にある一里塚の里石には「松山札辻より九里」と刻されている。人々はこの里石を仰いで疲れをいやしたり励まされたりしたことであろう。
 交通については、古くは里道が唯一のものであっただけに、物品の輸送は誠に原始的であって、人の背や肩にのせて運ぶ人力運搬か、或は牛や馬による運送の方法であった。一般物資の輸送については馬の方が多く、これら牛馬を使用し運送の仕事をする人を駄賃持ちと呼んでいた。馬につけた鈴を「シャン、シャン」と鳴らせ街道を往来していたのも大正の終わりごろまでであった。
 いっぽう人々の往来についても大正にはいり、待望の里道改修工事も軌道に乗ってきた。大正三年には数台の自転車が走るようになった。乗客用の客馬車も久主ノ下・久万間を走り、上黒岩の大野宇吉・泉藤次の二人がその仕事をしていた。
 旅客輸送の客馬車の時代は短く、大正一一年には、中央自動車株式会社が久万・松山間に定期便を開始し、ついで愛媛自動車株式会社・伊予鉄道株式会社等の社営乗合自動車が互いに料金を安くするサービス合戦を演じるなどの盛況であった。
 昭和四年前記各自動車会社は合併し、三共自動車株式会社となり、昭和一九年一月三日三共自動車株式会社は伊予鉄逆株式会社に吸収合併されて現在に至った。
 いっぽう路線については、昭和四年ころにはほとんど郡内一円に延長され、昭和九年に国鉄自動車が松山・久万・落出を経由する予土連絡バスの運行を開始した。そのため前記の三共バスは久万・御三戸・面河線のみとなった。
 終戦をさかいに旅客自動車も大型化し、定員五〇名以上のバスが運行するようになった。
 弘形村の道路行政に腐心した村長土居通栄は、次のように記している。
 電信・電話・道路の開発が文明開化の基盤をなす事は伸すまでもない。弘形村を西から東南に貫通する国道三三号線は明治一九年頃から工事を起し、中津村旭、記念滝の地点へ同二五年に達したので立派な記念碑が建立されている。一世紀昔に土木工事の幼稚な原始的とも言える用具と技術でよくこの大事業が完成したものだと、驚く外はない。その当時が現在より優秀なものは誠実と堅固な根性と勤労魂であろうと感嘆する。一村の中央を一㌔にもわたってその国道が縦貫しておる村は松山から高知間で、弘形村以外にはない。そんな事で僻地の老人が「車の通る新道を一度でよいから、見て死にたい」と言ったと言う昔話も残っている。国道が貫通しているという村民の安心感が弘形村の道路行政を無頓着にし怠慢にさせた。他の町村に立ち遅れて国道以外は県道の一㌔もなかったのが昭和二二年までであった。大川部落入口二㌔、有枝部落入口一㌔くらい軽自動車道があるのは、大正七、八年頃の不況時代に救済事業として部落に認可され、部落住民が賃金稼ぎをした村道で、村民の不便不利益は甚だしかった。戦前戦後の供出にも非常な苦労をした。美川小田町線、美川松山線と現在呼んでいるものは、共に昭和二二年三月三一日、本郡選出の大先輩県会議員新谷善三郎氏に努力して貰って県道編入の県会で議決を得たものである。私に参考人として出頭せよとの事で、出頭したのであった。
 当時、県会議員は本部も二人で、他の一人は面河村の菅広綱氏でお二人に交渉の労を願った。これが弘形村の県道の最初である。県報に四月一四日、官報には六月に登載された。村民ははじめて道路の重要性に目覚めた。村財政が迫している時窮代で、その疲弊困憊の中で行政費を最少限度に抑圧し、産業土木費に追加等して、内部の農道助成を促進した。
 大谷林道・藤社林道などの農道林道である。森林組合も不振で、村が協力体となって職員費も援助をする発足当時で、二本の林道とも村が肩代りの状態で言語に絶する苦境の時であった。美川小田町線、美川松山線延長継続事業として着手、他二線は朱着工、今後の課題である。逆路は地辷り地域は検討を要するも、河川沿線に一本は既設、その山腹に一本、山上に一本その連結道路と概要将来の展望を考える。その区劃内のあらゆる産業を経営する。斯く考えると道路を基盤と考えなければならない。過疎化をさけばれる昨今、其の歯止めにも道路の基本的計画を策定しなくてはなるまい。

弘形村の道路

弘形村の道路