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美川村二十年誌

一、ヤソ淵のうなぎ

 上谷の番所屋敷から百㍍ほど有枝川を登るとヤソ淵という深い淵があります。江戸時代の末に弥十八という番所屋敷の手伝いをしている男がいました。弥十八は、手伝いの暇を見ては川魚を釣り、番所に泊る旅人に焼いてさし出し小づかい銭を稼いでいました。その頃、ヤソ淵をうなぎ淵と呼んでいて、大きなうなぎの主が住んでいるとおそれられ、だれもヤソ淵に釣り糸をたれる者はなかったのです。弥十八は、このうなぎを釣り上げ大いに稼ごうと考え、はかりのカギにしゅろの綱をつけ、一尺もあるイダを餌にしてうなぎを釣り上げました。これ見よ、とばかり弥十八は、うなぎを背負って帰りかけました。すると背中の大うなぎが「背なあぶりにいく」と声を出しだので弥十八はびっくり仰天、うなぎをほり投げて逃げ帰りました。それから弥十八は、高熱を出し三日目に死んだそうです。それ以来、ヤソ淵と呼ぶようになりました。明治二〇年の夏、桧垣伸郡長一行がヤソ淵で川狩りをしたところ、網に大うなぎがかかった瞬間、天がにわかに曇り大シケとなり、全員ほうほうの体で逃げ帰ったそうです。