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美川村二十年誌

一、明治時代の概要

 明治維新になって諸制度の改革が行なわれたが、その中に地券渡方規則の発布(明治五年)がある。土地の竹民有の区分を明確にして、住民には地租を課したものであり、さらに財政の基礎を物納から金納へと切換えたものである。
 さらに、各村に戸長役場を設け、戸長は予算を編成して税を徴収し行政の執行に当った。明治二二年には地方自治制度の大改革として町村制が執行され、戸長も村長と改まり、議会制度もできて本格的な地方自治行政の道がひらけたのであった。
 戸長役場時代の村財政については記録が非常に少ないので詳細を知ることはできないが、明治一八年の村予算総額はわずかに四〇〇円程度にすぎなかった。
 明治一八年、戸長役場時代の予算決算調書があるので、原文のまま次に掲載しておく。
上浮穴郡七鳥村外二ヶ村戸長役場費並二会議費、予備費予算調書
  戸長役場費ノ部
一金 三拾五円七拾銭 需用費
  内訳
 金六拾六銭  大半紙三束代但シ壱束ニ付弐拾弐銭
 金八円    小形半紙五拾束代但シ壱束ニ付金拾六銭ノ見込
 金三円    ローソク拾五斤代但壱斤ニ付二十銭
 金壱円弐拾銭 朱肉弐拾両代但壱両ニ付六銭ノ見込
 金三拾銭   黒肉弐拾両代但壱両ニ付壱銭五厘ノ見込
 金壱円五拾銭 石炭油壱斗五升代但壱斗二付金壱円ノ見込
 金弐円五拾銭 炭五拾俵代但一俵ニ付金五銭ノ見込
 金弐拾四銭  生麩弐升代但壱升ニ付金拾弐銭
 金参拾銭   半切紙四百枚代但百枚ニ付金七銭五厘ノ見込
 金五拾銭   鉛筆代弐拾本代但壱本ニ付金二銭五厘ノ見込
 金弐拾銭   スリ附木三十箇代但壱箇ニ付金四厘
 金拾円    官報購求代但毎月壱部宛ノ積
 金壱円    彫刻料
 金弐拾銭   罫紙及箒三本代
 金弐拾銭   新年松飾費
 金六円    郵便及電信税
一金五拾壱円九拾五銭 諸雇費
  内訳
 金拾七円    臨時筆工雇給但一人一日拾七銭百日分
 金弐拾四円   小使給但一人ニテ一ヶ月金二円
 金拾円九拾五銭 小使宿直弁当料一直金三銭ニテ三百六十五日
         ノ宿直
 一金弐円    役場諸器機修繕費
 一金三円    役場家屋修繕費
 一金拾弐円   雑費
 一金壱円弐拾銭 周知費
 一金八拾銭   会議費

上浮穴郡七鳥村外二ヶ村村費決算額調書
  収入ノ部
一金四百弐拾弐円九拾銭九厘
  内訳
 金四拾五円九拾五銭二厘 地価割
 金三百七拾六円九拾五銭七厘戸別割
  支出ノ部
一金四百拾三円四拾銭八厘
  内訳
 金百六拾円七拾八銭八厘 戸長役場賞
 金弐百拾九円六拾二銭  教育費
 金三拾三円       衛生費
 金九円五拾銭壱厘    十九年度繰越分
 明治二二年、地方自治制度確立後も国や県からの財政援助が皆無にちかかったため、きわめて貧困であった。たとえば明治四〇年総決算、三、四一九円に対して、国や県の援助額はわずかに四〇円にすぎない。ほとんどが自主財源であり、その主力が村民税であった。
 明治四五年間の財政史上、特筆すべき明暗二つの問題をここに述べておく。
 村は東古味に通ずる井堰溜池水路の大工事を計画して明治三三年三月一三日に愛媛県農工銀行から六〇〇〇円の起債をして工事を始めた。しかしこの計画は完全に失敗に終ったため村は巨額の負債をかかえて苦しむことになった。この負債は一〇数年にわたる特別税によって村民に大きな負担をかけ、村財政の伸長にも多大の影響を与えたのであった。
 明るい面では、明治三五年を頂点として、村基本財産の蓄積事業に大きな功績を残したことである。
 明治三五年度には、基本財産蓄積費として支出した額が全予算の約四〇%に当っているが、当時は苦しい財政下にありながら年々一〇%内外の財産蓄積費が計上されている。
 この費用の大部分は植林地の購入と、その造林事業に充当されたものである。