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美川村二十年誌

三、昭和時代の概況

 昭和にはいると建設事業が積極的に行なわれ、いよいよ財政規模を膨脹させていった。数字によってその一例を見ても昭和一五年度決算額約一七万円に比して、二八年度決算額は一、八二二万二、四九六円という巨額を示している。
 物価の変動と、もう一つの大きな原因は戦後の復興予算と呼ばれるもので、各種の政策を積極的に行ない、財源不足の場合は基本財産の売却あるいは起債も辞さないという方針が巨額の予算を計上させたのである。
 ただし、戦後の膨大な予算は明治・大正・戦前に比して、自主的財源よりもはるかに多く国庫の依存財源に求めることができるようになった。窮乏の一途をたどる地方財政に、国が援助の手を大きくさしのべてきたわけである。
 その名は地方財政平衡交付金であり、各種事業に対する大幅な補助金、または負担金と呼ばれる国庫または県支出金である。