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美川村二十年誌

三、仕七川中学校

 学制改革によって、昭和二二年に仕七川中学校が全国の新制中学校と同様に発足したが、校舎もなく、仮校舎による分散授業で開校された。開校当時の生徒数は二〇一名、五学級、職員は校長以下九名であった。
 現校地の決定については次のような経緯がある。
 昭和一一年に県会議員新谷善三郎が、仕七川第一青年学校長岡田虎太郎、専任教諭菅達愛および村長渡辺太作と相談して、青年教育を充実することは村の経済更生の第一であるとして、山林七町歩を教育実習地として仕七川信用組合から八五〇円で購入した。この金は青年の努力による年賦払とした。そののち、職員と生徒の献身的な奉仕によって、耕地二町歩(田一反歩)四八坪の建物(忠孝道場)、二町歩の記念植林を完成した。昭和一九年、仕七川第一・第二青年学校を合併して、仕七川青年学校がこの地に発足し、村青年教育の殿堂とされていた。二二年九月の村会において、この地に中学校を建築すると決定されたものである。
 昭和二三年、第一期校舎の建築。
 ①建築教室数 五教室
 ②財源、国庫補助二〇万六、八〇〇円、その他は、村有林を伐採。
 ③総経費 一一九万円
 ④整地等に一戸五人役の労力提供
 ⑤一時現金借入として一戸平均五〇〇円借入。
 同二五年、第二期校舎建築
 昭和二四年の生徒数は三二〇名に達し、二期工事の必要性は急務となった。各種の協議会が再三にわたって行なわれた結果、同年一〇月になってようやく具体化した。
 ①建築教室数 五教室、
 ②財源、国庫補助四五万六、〇〇〇円、村税四〇万円、
     財産収入約四三万円、奉仕収入約二四万円
 ③経費精算額一五二万一、〇〇〇円、
 ④各戸二人役の労力奉仕によって整地。
 同二六年、運動場拡張工事、運動場一、五〇〇坪が整面された。
 同三〇年、特別教室工事開始、
 昭和二九年の第一二号台風によって、それまで特別教室として使用していた旧青年学校校舎が使用不能となった。同年五月に特別教室の敷地が完成した。