データベース『えひめの記憶』
美川村二十年誌
四、青年教育その他
農業補習学校
大正二年二月の村会で、農業補習学校設置を決定し、仕七川尋常高等小学校に併置されて七月開校した。教師は小学校訓導が兼任し、夜間授業が主であった。
大正一四年一〇月には、東川小学校にも併置された。小学校を卒業した在村青年の教育機関として重要な役割を果した。のちに専科教員も任命され、次第に充実していった。
青年訓練所
大正一五年、全国に青年訓練所が設置され、軍事教練を課すようになったが、本村も小学校に併置し、学科は農業補習学校の学科を充当し、在郷軍人を教官とした教練を実施するようになった。
青年学校
昭和一〇年、従来の補習学校・青年訓練所を廃し、青年学校をおくこととなり、仕七川小学校と東川小学校に併置された。軍事教育と公民教育を目的とし、男五年・女三年の課程であった。昭和一一年、仕七川青年学校は現中学校の地に七町歩の土地を購入し、校舎を建て耕地をつくり、天祚園忠孝道場として教育実習の殿堂とした。
同一九年、仕七川第一・第二の青年学校を合併して、仕七川青年学校として発足、初代校長に菅達愛、ついで浪滝藤十郎、小椋伊十郎が校長に就任したが、二二年、廃校となった。
上浮穴高等学校仕七川分校(定時制)
昭和二三年九月開校、勤労青年は希望にもえて入学したが、独立した校舎もなく、公会堂や公民館あるいは小学校の間借教室による授業であった。
やがて中学校卒業者で村に残るものが極めて少なくなり、遂に開校後一〇年ほどで廃止された。
教育委員会
地方教育委員会法の施行により、昭和二七年一一月一日、仕七川教育委員会が設置された。教育委員は公選により(無投票)新谷善三郎・中西縫太郎・福旧嘉登・高岡福一が当選し、議会選出の佐藤計三郎を加えて成立した。初代教育長は助役猪上正度が兼務した。昭和三〇年、仕七川村閉村と同時に美川村教育委員会として吸収された。