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美川村二十年誌

一、郵便制度の発足

 郵便制度は明治六年、文明開化の波に乗って全国的に実施された。仕七川地区では七年一一月一六日に東古味郵便取扱所として発足した。初代郵便取扱には、先覚者であった神官黒川方徳が任ぜられた。
 当時の集配業務は、直瀬村(現久万町)、杣野村と大味川村(現面河村)、仕出村・七鳥村・東川村(仕七川村)の六ヵ村を担当していた。
 集配人は二名で、一名が仕七川村を一名がその他の村を担当していた。このため、直瀬・杣野担当の集配人は、早朝、暗いうちに出発しても帰りには日が暮れてしまい、提灯をつけて歩いたこともしばしばあったそうである。いくら郵便物が少ない時代とはいえ、広範囲な地区を回るだけでも、たいへんな苦労であったことがわかる。
 明治三五年三月一日に渋草局(面河局)が開設されて、これと同時に集配区域が整理統合された。杣川村・大味川村は渋草局へ、直瀬村は久万局扱いとなり、仕七川局の集配は仕七川村だけとなった。同時に仕七川村は一区制から二区制となった。範囲は狭くなったものの、時代の進展とともに郵便物の取り扱い量も増加した。そして昭和三年には三区となり、一〇年には四区となった。

歴代仕七川郵便局長

歴代仕七川郵便局長