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美川村二十年誌

二、横田維翰

 石川県金沢市泉野町の出身。町村制が実施されて仕七川村が誕生した初代の村長で、明治三一年四月退任するまで二期八年問を勤めている。交通の整備・農業の振興・教育の充実・村医の招聘などと功績が大きい。
 まず北蕃里道開さく組合を組織して東古味・西古味を結び、久主ノ下へ開通する新道を作ることにし、両古味を分ける面河川のモロブチには村営の渡し舟を運行させ、直瀬川に滝渡瀬橋を架した。この橋は明治二六年一〇月に完成したが暴風雨のため流失し、道路も寸断された。村長は補助金を得て復旧工事をすすめ、二八年に全線を復旧している。
 また農家経済の安定には農家の共同組織化が必要と考え、各部落に農事会を設け、また農産物品評会を開いて農産物の質の向上と増産をはかった。新村役場の敷地問題を解決し、鷹森小学校・東川小学校を新築し、二九年に村医として西野内政次郎を迎えている。退任後は村を去り松山に移り住んだと伝えるが生没年代も明らかにし得ないのが残念である。