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美川村二十年誌

五、新谷善三郎 (一八八四~一九七〇)

 仕七川村九・一二代村長、県議会議員三期。明治一七年北条町辻(現北条市)永井角次郎の三男に生まれ、三三年新谷米三郎の養子となる。二二歳で仕七川郵便局長となった。当時の郵便事業は請負制度で、赤字に悩まされながら一二年間やり通した。四四年家業の酒造と共に養蚕業を始め東雲館を興した。大正七年三四歳の若さで村長となり、村の産業振興につとめ、みつまた栽培を奨励し販路の開拓をはかり、郡内生産品を大蔵省印刷局に納入することに成功した。仕七川にはじめて電燈をともしたのも彼である。昭和一〇年県議会議員に当選し在任三期にわたったが、議員中の「みつまた通」として知られ、上浮穴郡のため多くの功績を残した。中でも県立上浮穴農林学校(現上浮穴高校)の創設につとめ、開校後はPTA会長として、学校発展に物心両面からの努力をした。同校構内にはその肖像のレリーフに五代校長安藤道治の「学びやを産み育てたるいさおしを永久にたたえてともに学ばん」の作歌を添えた頌徳碑が建てられている。また先覚の志をついで久万山に残された共有財産「久万凶荒予備組合」の組合長として維持と発展につとめ在任三〇年の長きにわたった。高い識見と不動の信念を以て生涯を貫き、いつどこでも誰にでも信ずる所を直言して憚らなかった。また義理に篤く政界の先輩大野助直の墓参を欠かさなかったという佳話がある。自治功労賞を始め二〇回に上る表彰をうけ、四一年には農林大臣賞、従六位勲五等端宝章を受けた。四五年三月、八五歳で逝去した。長男善孝は東古味で家業を継ぎ、女婿優は現村長である。