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美川村二十年誌

六、岡田孫十郎(一八六八~一九三一)

 仕七川村一〇・一三代村長。明治元年七鳥に岡田信太郎の子として生まれた。青年時代に両親を失い、村役場の書記となり、助役を経て大正九年に村長となった。在任中の特筆すべき業績は大正二一年の仕七川橋、滝渡瀬橋の架橋である。村の中心部をなす東・西古味間は面河川が幅広い深淵をなしており、かつては渡し舟がかよい、また上流に迂回して土橋を渡るなどの不便があり、七鳥から西古味・長瀬に通ずる道は直瀬川に妨げられ、老朽化した木橋が現在よりも上に架っていた。新たに架せられた仕七川橋はつり橋で、村のシンボルとも言うべき美しさで面河川に風致をそえ、また滝渡瀬橋は鉄筋コンクリートで脚部の変化に富むアーチ型は人々の目を奪う精巧さであった。当時の村の予算二八、〇〇〇円に対し、両橋の総工費は五七、〇〇〇円を費したもので、村長の英断であった。また西古味にあった小学校舎の老朽化と校地の狭あいを思い、これを東古味に移転することに努め、村会で議決するまでにこぎつけたが反対も多く、在圧中には実現しなかった。昭和四年おされて再び村長となったが在任中、六二歳で逝去した。
 岡田家当主正三は七鳥で農業に従事している。孫十郎の四男虎太郎は上浮穴郡教育界の長老であり、二一年の長きにわたって村の教育に尽瘁し、うち仕七川小学校長一一年、仕七川中学校長六年に及び、現在松山市で悠々自適の生活をしている。