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美川村二十年誌

八、水元市松(一八八七~一九六二)

 明治二〇年、七鳥で水元多平の四男として生まれ、愛媛県師範学校に入学したが家庭事情で中途退学した。その後独立して西古味で雑貨商を営んだ。大正一五年に村会議員となり学務・土木・建築などの委員として活躍し、昭和五年に助役となり、一四年に渡辺村長逝去のあとを受けて一六・一七代村長となった。日華事変がしだいに拡大し、国を挙げて軍国調が強まって行き、村からも続々と戦死者が出るようになった。これに心を痛めつつ前村長のたてた経済更生を実施した。青年道場の建築、各部落に公会堂を造り、サイレンを取りつけ、農事実行組合を作り、みつまたの晒し場を作った。これは非常の際の用水池でもあった。農業会に醤油醸造場を作り、また久万町からの槇谷林道をつけた。こうした更生事業の推進に岸本徳兵衛技術員の功績も大きかった。
 戦後は公職につかず、三七年、七四歳で逝去した。水元家のあとは現在勇が仕七川タクシーを経営している。