データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

美川村二十年誌

七、久主中学校

 昭和二二年発足(生徒数一年三七名、二年二四名、第三学年は非義務制のためわずか五名)校舎は久主小学校を使用、教室不足のため大寂寺本堂の一室を借用昭和二四年 新校舎に移転
  二五年 校庭第一期拡張工事に着手
  二六年 校庭第二期拡張工事に着手
  二七年 学校敷地拡張工事開始
  三〇年 町村合併により、柳谷村立久主中学校と改称
 歴代校長氏名
昭和二二年中越長次郎、昭和二九年浪瀧藤十郎
 中津村教育委員会
 地方教育委員会法の施行により、昭和二七年一一月一日中津村教育委員会が設置された。教員人事をはじめ教育行政を担当することとなり、教育の向上に大きな力となった。
 農業補習学校
 小学校を卒業しても尚勉学と農事実習を希望する者のために、大正四年久主、大正六年宮成(黒藤川)に農業補習学校が設置された。
 教師は小学校訓導が兼任し、主として夜間授業であった。のち専科教員も任命された。
 青年訓練所
 大正一五年、中津村立久主青年訓練所が、また同じく黒藤川にも設置され、次第に軍事色を強めた。
 青年学校
 従来の青年訓練所を廃し、昭和一〇年久主と黒藤川に青年学校が併置された。軍事思想の鼓吹と、公民教育をさせることを目的に以前の補習学校・青年訓練所の教科内容を一本化し、教育を行なった。