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美川村二十年誌

四、婚 姻

 昭和一五年頃までは結婚は娘の考えなどは無視されて、親が一方的にきめたものである。現代のような恋愛結婚は部落民から白眼視されたので、ほとんどみられなかった。しかし明治初年に、他にすきな男がいながら親に強いられ、泣きの涙で結婚式にのぞんだが、その晩すきな男が嫁さらいといって、さらっていったという話もある。
 嫁とりは話がまとまれば、仲人が嫁方へ「済み酒」を持参して祝い、次に「頼め」(結納)といって、結納金と酒一升に白米一升を納めるのである。
 結婚式には、仲人・新郎・両親・迎え嫁(女の子)と四人で嫁を迎えに行く。その時「樽にない」といって酒二升と鮮魚料を持参する。その内の一升は嫁方が新郎の家に持って行き、三々九度の酒とするのがならわしである。
 嫁見の者が大ぜいくるほど、新郎の信用があるとされている。嫁を見に集まった人には祝い酒がふるまわれた。又、花嫁が出る時は、娘がとられることを惜しみ、部落の若者たちが墓石や肥たご等を通り道に置いてじゃまをした。花嫁を送り込むのに一と苦労をするが、じゃまが多いほどよい嫁として、新郎の家族もよろこんだ。このような風習は近年みられなくなった。