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美川村二十年誌

三、亀井 要(一八八二~一九三八)

 八・九・一〇代村長。明治一五年三月一日に現柳谷村中津の亀井平太郎の二男に生まれた。日露戦争に従軍し、工兵伍長、勲八等に叙せられている。
 明治四二年に書記として役場入りし、四三年一月に収入役、同年一一月に村長となり以来大正一一年末まで三期一二年間勤務した。その間、農林・畜産の振興に努めたが、特筆すべきは村有財産としての造林事業である。
 中津村の一二の部落(沢渡一、黒藤川六、久主五)にそれぞれ一町歩(約一㌶)の植林を割りつけ、費用は村費で補助した。この村有林は太平洋戦争中には軍用材一五万才の割当てを賄うことが出来たし、中津明神山・長崎皿ヵ峰などの村有林は戦後の学校建築や公共土木建築事業の資金源となって村民を利している。
 彼は村長のほか郡農会長、畜産組合長、信用組合長などをつとめて功績が多い。昭和一三年七月に五八歳で死去した。