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美川村二十年誌

七、政木茂十郎(一八九八~   )

 一九・二〇代村長、明治三一年四月一五日に久主の井野田忠次の二男に生まれ、のち政木家に入った。四三年落出高等小学校を卒業、入営するまで家業の農事に励んだ。
 大正七年末に兵役を終った時、酒類の製造販売をはじめ、同時に推されて中津村信用組合長となり、以来昭和六年まで一三年余を勤め上げた。引つづき家業の傍ら村議会議員・消防組頭・警防団長、昭和一四年に役場入りして助役を一期つとめ、また中津村農業会長となっている。
 昭和二二年四月、伊藤村長辞職のあとを承けて村長となり、以来二期、合併による中津村閉村までを勤めた。ようやく終戦後の虚脱状態から抜け出したとはいえ、学制の改革から進駐軍命令の処理、社会機構の改革に即応しつつ財行政を運営して行くには、平時の村長のうかがい知らぬ苦労が伴なったし、また中津村を二分して美川・柳谷となる町村合併期には最高責任者として焦心労身の苦しみを嘗めた。生来温和で誠実、公平無私の彼は世論をよく聞き、諭すべきは諭して大勢に随わせた。町村合併後は居住地の関係から柳谷村に属し、柳谷村助役一年ののち三一年六月から柳谷村村長を二期八年間勤め、柳谷村森林組合長理事・上浮穴郡老人クラブ連合会長・柳谷村老友会連合会長などをつとめている。天性の温かい人間味と誠実さは周囲の人々の大きな信頼を得ているのである。