データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

美川村二十年誌

あとがき

 このたび美川村発足満二〇年の記念事業の一環として「美川村二十年誌」が発刊されることになった。このことについて第一回の編纂委員会が昭和四八年七月一八日に開かれたが、その席上で新谷村長が、
 村も合併してから来る五〇年の三月三〇日で満二〇歳になる、その間の行政の実態を記録して残しておきたい。なお旧仕七川村には村誌が出来ているが旧弘形村、中津村には無いから、この機会に旧村についても集録して後世に残したい。
という根本方針を述べ、その結果、美川村二〇年の歩みを第一部とし、旧村の沿革を第二部として集録することに決定した。
 爾来この方針にしたがって四六名の委員の資料の収集と検討、数次にわたる会合が行なわれた。しかし古い資料というものは意外に少なく、いきおい古老を訪問して聞書きなどが行なわれたが、古老の記憶にも限度があり思い違いもあって、真実を伝えない所もある。委員各位のご労苦は並たいていではなかった。それぞれに多忙な本務を持ちながら余暇を利用して資料収集に奔走され、それをもとにして限られた日時の中で、取急ぎ原稿をまとめられたのである。右のような事情のため、本書は内容的にも形式的にも、かなりの無理があったことは否めない。この点、読者の各位にご諒承をお願いしたい。
 書名についても「美川村誌」とするか、「美川村二十年誌」とするか、委員会で種々論議された。わずか二〇年という新村の記録に美川村誌と名づけることも躊躇され、けっきよく「美川村二十年誌」と命名することにした。
 もっとも論議されたのは旧村の人物伝についてであった。古人はともかく、村民の記憶に新しい人や生存者についての人物評価は十人十色で、この人を採ってこの人を採らぬといった根拠について私どもとしては確信が持てない。そのためこの際は古人の外は歴代村長のみにとどめることにした。読者各位のご諒承を得たいのである。
 なお、集められた原稿は多数の執筆者の手に成ったため、同一事項の重複も多いので、最終段階において思い切って文章の統一と割愛をさせていただいた箇所も多い。この点、委員各位のおゆるしを得たい。
 本書の編集については、土居武男氏が事務局長として原稿取りまとめその他、万端の仕事に専念されたし、また本村出身の伊藤義一先生が豊かなご経験を生かされて、終始適切な指導と監修の任に当って下さった。なお、本書を発注した松山印刷有限会社は期日に間に合わせるため、きわめて良心的に困難な仕事を貫徹して立派な本に仕上げられた。ここに委員各位をはじめ以上の方々に深甚の謝意を捧げるものである。
 「歴史は鑑である」という。私共は本書によって二〇年の歩みを反省して明日への励みとし、先人の業績をしのぶと共に、これが本村の将来を背負う若い人々のために一つの指標ともなれば幸せであると考えるのである。
  昭和五〇年三月
                           美川村助役 編集副委員長  山  下  傅  三  郎