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柳谷村誌

第二節 河川・谷沢

 柳谷地塊の上層部をつくる岩石・土壌層にひろがって、河川・谷沢が流動する。さながら我々のからだの皮下筋肉層にわたって、大小の血管が網の目のように張り充ちているのと似ている。たに(谷・渓)は、水が「垂れる」さまから、さわ(沢)は、「水騒ぐ」行為から、かわ(河・川)は、「がわがわ」と水が鳴り響く音なひから、ながれるは、「長い」の知覚を、存命(ながらう)→生存と意味づけて、河川・谷沢との融合し和解し合う経験のすべてを、固定し象徴したもののようである。たに・さわ・かわが、ながれると感ずるに至って、いのちのいとなみの実感は、いよいよその真実味を深める。        

 谷川系統の大要

 個々の谷川が流動するすがたは、一見断片で、気まぐれで全くの偶然を思わせながら、事実きびしい秩序のもとに現われる。○中津山塊系統の谷川は、稲村谷・鉢谷・大谷川・上場谷・小松谷・タンノコ谷と並んで、秩序正しく仁淀川へ、○これらに対向する、栃谷川・高地休場谷・夜鳴川・エリマル谷も、それぞれ中津山塊系統の谷々に相対面して、仁淀川に合流する。地塊の動脈である黒川系統はすべて、四国カルスト準平原からの血脈を秩序正しく受継いで、たくさんの支流・枝沢を和合して、龍宮(門)に仁淀川の出迎えを受けるかのように、合流している。

 谷川の断面

柳谷地塊の上部層を流動する谷川は、それぞれの地域上層部の傾斜相に応じて、瀬となり渕をなして流転する。それぞれの相のちがいが、そのはたらきの違いを現わすのである。そして我々柳谷びととの和解のすがたを創り出してゆく。柳谷地塊の谷・沢の流動緩急を示す地塊断面について、次の方形と対応して考えてみよう。方形は両辺二・四キロ、一・八キロ、面積四・三二平方キロである。その一、起伏量図、ランクを一〇区分にし、方形内の最高点と最低点の標高(メートル)差によって区分する。○―○~五未満、一―五~一〇未満、二―一〇~一五未満、三―一五~二〇未満、四―二○~三〇未満、五―三〇~四〇未満、六―四〇~六〇未満、七―六〇~八〇未満、八―八〇~一〇○未満、九―一〇〇以上とする。柳谷彫刻体は五~八の四ランクである。四つのランクに占める比率は、五―二・七パーセント、六―二四・三パーセント、七―五六・八パーセント、八―一六・二パーセントである。七~八合わせて、全域の四分の三近くを占める急傾斜である。四国カルスト準平原が、ほとんど五~六であることは、著しい特徴である。八のランクは、中津山々塊・横谷山塊・名荷川奥部両斜面で、中久保川両斜面が、大野が原の地続きで、五の格づけで、「成程」と楽しい。その二、
標高最低点数値図、隣り合っている方形内の、最低点数値のひき較べ、区画内谷沢の実相と結びつけ、いろいろの意味づけを試みるのも興味深い。地塊の北西部の方形(最低点一〇〇〇メートル)内の最高点は、笠取山頂一五六二メートルである。山頂三角点に生まれた一滴の水、東端の方形(最低点一七〇メートル)内の県境川底に着く水の旅。その旅程、約二九キロ三〇〇メートル。この旅日記、村内小中学生の誰かの手によって、ものにされるとすれば、これもまた、わが村のシンボルとなる。その三、谷密度図、それぞれの方形の各辺をきって流入・流出する谷沢の実数を以て、谷の密度とする。二〇から三五~六に及ぶ実数値ばかりを示すのは、柳谷地形の壮年期を物語る。かねがね、村道中津線を進んで一〇〇メートル地点から、夜鳴川の流向を遡ってその源を見通すと、東西から交互に、この谷に駈け入る稜線の稠密さに気を留めていたが、今成程と納得できた。県境の断層線に沿う脊梁が、この高密度をつくり出している。黒川本流に沿って、二二・二三の低い数が連続している方形内に、郷角・本谷・小村・大成・名荷・古味などの集落が含まれる。谷密度の低い地域に、郷が生れ、郷が育ったことが聴かれるようで、土地えらびの配慮が偲ばれる。

珪質千枚岩分布図

珪質千枚岩分布図


崖堆性推積物分布図

崖堆性推積物分布図


地すべり防止指定地域図

地すべり防止指定地域図


谷川系統分析表 1

谷川系統分析表 1


谷川系統分析表 2

谷川系統分析表 2


谷川系統図

谷川系統図


起伏量図

起伏量図


標高最低点数値図

標高最低点数値図


谷密度図

谷密度図