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柳谷村誌

第四節 「ひろば」と「みち」

 自然は、こころひろく大きい。すべてのいのちが生れ出で、そしてそれらが生きつづけることを、大らかに認めているから。更にそれらのいのちに、よのなかつくり(社会化)をさせているから。いのちとよのなかの二つは、自然が公開する最もすばらしい生産物と理解したい。
 柳谷地塊(柳谷の自然の本体)では、人々との出合いがその呼び込みに始まった。そして呼び入れた人々の世の中つくりをやらせてきた。村の夜明けの郷びらきである。この郷びらきのいとなみに欠かせないものがある。世の中つくりに心を通わせ合う手掛りである。その手掛りの役割を担ったのは、「ひろば」と「ひろばに通ずるみち」である。柳谷の自然は人々に、この二つの手がかりを充してくれた。この二つは自然の心の工作物の中で、最もすぐれたものと地位づけして、ちからの最先端に置くことを適当と見る。

 村政府―ひろば

 「村政府」は村社会のひろばである。村びとが社会活動する脳中枢である。呼び込みせられた人々が、心通わせ合うには、場所と機会が要る。村政府―ひろばはそれを充たす、場所と機会のはたらきをもつ。すがたは郷ー社会のすがたに応じた変り方を見せてきた。その移り変りのあらすじを見よう。(一)六〇〇年ごろから、群れ群れのひろばは、「やしろ」「ほこら」からはじまる。信仰を中心として、すべての文化化活動を、社会的活動のすがたに拡充して発展してきた。(二)「むらやしろ」を中核とし、「てらやしき」「かみやしき」などが、今日の外局に似たはたらきをして、ひろばの役割を強化した。(三)「お庄屋やしき」。社会つくりが進み、統一社会が完成したので、ひろばの役割は、お庄屋やしきに統轄され、「むらやしろ」「てらやしき」は、助言と協力のはたらきを整備した。(四)やくば、明治五(一八七二)年から戸長やくば、明治二二(一八八九)年から村役場となり、拡充と整備を重ねる。今日柳谷の自然の脳神経中枢として、構造と機能を完備する。       

 情報系―みち

 「情報系」は、村社会のみちのはたらきである。郷びらきと同時に、「みち」は「ひろば」の整いに伴って進んだ。「社会つくり」は「みちつくり」を絶間ないはたらきとしてつづけてゆく。今日、「みち」は有形的の「道路網」と、無形的の「電通系」の二分野となる。うち電通系は、「有線媒体」から「大気媒体」へと、はげしい技術進歩を続ける。柳谷地塊の「みち」は、「地表と大気」いずれの分野においても、時の歩みに合わせた拡充ぶりを見せてゆく(詳細は第四編第四章―ひかり参照)。

ひろばの分布図

ひろばの分布図


道路網図

道路網図


電通系統図

電通系統図