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柳谷村誌

第二節 やなだにびとの文化化活動開始以後の地肌色の移り変り

 ―焼畑を粧う地肌色

 夏緑落(広)葉樹林の地肌に、焼畑の粧いがはじめられた。そしてその焼畑の粧いは点から、点の複合した面へと伸び広がっていき、全面夏緑落(広)葉樹林の地肌は、だんだんその色相を変えていった。そしてそのお色直しのテンポが速さを増し、濃紫紺色の重ったい色相となったのが、今日のスギ・ヒノキ等の針葉樹林の林相なのである。この色どり替えは、今日迄千数百年に亘って続けられてきたのであろう。これが我々やなだにびとと、柳谷の自然との間で行われた和解のいとなみの証しなのである。

甲番地地域の焼畑つくり

 畝順帳や土地台帳に、甲乙の部別がつけられている。焼畑つくりは、甲番地地域からはじまる。郷びらきの区域に一致している。人々はまず、住いをつくる屋敷地をこしらえ、その周辺に、食用作物を栽培する耕地を拓いた。今日の普通畑(常畑とか熟畑とも言う)である。開田は、地づら、水がかりを見計って、普通畑の域内で選地したものと思われるから、普通畑地域に含める。郷びらきの初期には、甲番地外の地域が豊かだったから、それらの林野に自生したものを採取して、生活材補給に充てていたものと思う。

 乙番地地域へひろがる

 郷びらきが進み、人口も殖え、生活様式も変る。郷全域の生活材の不足が出始める。生活材のうち食料確保は、いささかの猶予もゆるされない。そのため乙番地地域へ焼畑をひろげねばならない。遠い道のり、低い気温と地力、災害を含めた数々の不利な条件などが重なる。耕作に労働は多くなり、受ける大地の報いは薄い。常畑化・開田等への期待はほとんどもてない。しかし一方、やなだにびとの開郷意欲は、いささかの淀みも生じなかった。「切替畑耕作」の試みと蓄積に、いのちをかけ通したのである。とうもろこし・あわ・ひえ・だいず・あずき等、穀物つくりに汗を流した。その汗、いま地塩となって、焼畑に濃く蓄えられている。

 拡がった焼畑はミツマタの花で黄色く彩られる

 乙番地地域の焼畑つくりは続けられる。食用作物耕作だけの切替畑経営は、不作凶作の危険性高く、生産性は低い。増反また増反によって、生計を立てねばならない。加えて、貨幣商品経済の時代の流れは、避けて渡ることを許さない。
 明治一七(一八八四)年ごろ、ミツマタが久万山へ導入された。面河・仕七川・弘形・中津・柳谷へとその栽培圏が拡がっていった。わが村へは、土佐津野郷からもはいってきたのである。ミツマタは中国原産のチンチョウゲ科の木で、我国へ入来してからは、和紙原料に供する特用作物として山地に栽培された。この植物、日光・温度・湿度・傾斜面・土壌・災害など、奥地山地でも充分に充たし得る栽培条件をもつ。わが柳谷の地肌は、上乗の好適地として迎えられた。拡がりゆく焼畑(切替畑)は、ミツマタ畑の前畑を了して、一挙に切替えられた。更に未墾の樹林は、ミツマタ専栽耕地として増反されたのである。わが村の切替畑地肌は、ミツマタ畑一色の景観に彩り替えられた。需要は特需を想わせる相で増大してゆく。ミツマタは貨弊商品経済の寵児にのし上り、やなだにびとは、くつろぎの笑みを、黄色一面のミツマタ畑に注ぐ正午を迎える。

 黄色いミツマタ畑蒼い林地に変る

 生活様式の移り変わりにつれて、生活材の需要は揺れ動く。書字・印刷方式が変わって、和紙の売行きは途絶え、窓ガラスの普及により、障子紙の需要は落ちる。やなだにのミツマタも、印刷局納で幅を利かして来ながら、円札が硬貨に切替えられて、局納めの流れも閉ざされてしまった。ミツマタ畑は切替の運命に迫られた。しかし、幸なるかな。ミツマタの適地は、林地の適地ででもあった。農家はすべてのミツマタ畑に、更に高地の未墾地拓きを加え、スギ・ヒノキの植込みを決断実行した。年を逐うにつれ、林地は増反する。今日植林率は九〇パーセントを超えた。林家保有の植栽面積実に九四〇〇ヘクタールに及んでいる。全面積一〇〇〇〇ヘクタールになんなんとする地肌は、今濃い蒼色に彩り込められている。    

蒼色の林相が醸す森林生態

夏緑落(広)葉樹林相から、針葉樹林相に至る地肌色の変化は、柳谷の彫刻体を生息場所とする、すべての生物のかかわりかたを大きく変えている。
(1)夏緑落(広)葉樹林相の森林生態 この林相では、光・温度・水分・雨・風・気圧など、適度な組み合わせと変化を森林生態気候が醸されていた。高い木が上位に、灌木が下位に、蘇苔や草本類は、地肌に直接して植生する。したがって小動物をはじめ、山野鳥獣類は、それぞれゆたかに種の繁殖を得て、共生融和の世界を欣び合っていたと想われる。(2)蒼色針葉樹林相の森林生態 スギ・ヒノキを主軸とした針葉樹林は、その密生繁茂した樹冠によって、森林生態気候を単純化した。温度・湿度は日の出没を周期として変り、四季の季節による変化は極めて小さい。樹間は、秋から冬にかけて冷えにくく、春になっても温まりにくい。風は流れず、大気は渋滞する。ひと言で言えば、冷凍冷蔵庫になぞらえられる生息の場所に変化した。樹下・地肌に、灌木・蘇苔・草本類植生することができず、大小の樹間動物はほとんど、転棲あるいは種の断絶を強いられる命運に曝されるに至った。(3)「健全な森林生態」樹立への途 やなだにの自然との、和解調通の関わりを保持するには、「健全な森林生態」の樹立が、新しい課題となるのではないだろうか。往年やなだにびとは、「切替畑経営の巧みさ」を経験蓄積している。今、伐期が来て除伐した跡地には、植栽樹種の転換を具案し、「健全な森林生態」の樹立を図るべきであろう。

甲番地地域焼畑つくり開始分布図

甲番地地域焼畑つくり開始分布図


乙番地地域へ焼畑拡大期分布図

乙番地地域へ焼畑拡大期分布図


ミツマタ畑分布図

ミツマタ畑分布図


針葉樹林相分布図

針葉樹林相分布図