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柳谷村誌

(三) 後期 福祉社会化期 昭和二〇年代~五〇年代へ

重視・女子教育の高度化など。(ハ)景観変化(黄色い花つける三椏畑は、蒼紺の針葉樹林に)―需要構造の変化(和紙から洋紙へ、紙幣は硬貨に)が、全国有数の局納三椏生産地域(大蔵省印刷局松山分室調 昭和一九(一九四四)年度から昭和五八(一九八三)年度まで四〇年間 柳谷村からの局納三椏数量一〇〇九・四トン。昭和一八年度以前は県農産課扱いで不詳。)として、全国に令聞を馳せていたわが村の、営農構造の大転換を余儀なくさせた。我々は、焼畑経営のモデル地域として、食用作物・特用作物の巧みな組合せ切替えによって、その高い換金性の保持を謳歌してきた。今此らの耕地経営に、大きな転換をしなければならなくなったのである。三椏から植林への切替え転換は、「一年単位から半世紀単位への換金性の転換」である。したがってそれは、生計構造ー就労構造ー居住構造に、大きな新しい課題を生み、その解決を迫ってくるものであった。

 生活基盤中心の社会つくり(三〇年代) 

 朝鮮戦争特需の影響もあって、混乱から安定への足どりは早く、経済復興はきわめて堅調であった。新憲法は戦争放棄を鮮明にし、財政の主力は、市町村優先の生活基盤の整った社会つくりに投融資された。(イ)広域市町村圏の育ち(新村柳谷村の生誕)仁淀川に境されていたからとはいえ、御三戸から県境までの右岸が、中津一村であったとはいかにも従順すぎた話。龍宮から県境までの川筋は、黒川の延長と見るのが地形構造での自然。昭和三〇(一九五五)年、多年の懸案どおり、中津村南半と合併して、新柳谷村が生まれた。いかにも待遠しかった誕生である。「同質生活圏」という社会的遺伝子が、村の健全成長を予言してくれている。(ロ)地方税制の整備 昭和二四(一九四九)年九月一五日のシャウプ勧告は、我々日本人自身では、到底構想しえないほど、すっきりとした「日本租税制度論」である。国・都道府県・市町村の三系統の絡み合いからくる干渉と依存の慣行から脱して、それぞれの自主性を強化独立させ、自治の本旨の確立を意図したものであった。その合理税制の段階に至るまでには、年を逐って漸進的に改善を加えていき、いささかも混乱の跡方をものこさない運び方である。その三系統関係の改善の経過は次のとおりである。明治四五(一九一二)年ごろから、国税・府県税の附加税制→昭和二三(一九四八)年七月七日地方配布税制→昭和二五(一九五〇)年五月三〇日地方財政交付金制→昭和二九(一九五四)年五月一五日地方交付税制→逐年同税率上昇改正が行われ、税額は村税を凌いで首位税目となる。この地方税制整備の経過と共に、特筆すべきものは、地方教育費に係る税制の整備経過である。その梗概は次のとおりである。明治二二(一八八九)年町村制実施、教育費は寄附金(村民各戸より)→大正八(一九一九)年から昭和一五(一九四〇)年まで、教育費国庫下渡金制(教育費予算額の約二分の一程度で定額制)→昭和一六(一九四一)年義務教育諸学校教員給与県費負担→昭和二七(一九五二)年七月三一日義務教育費国庫負担法(国・県各二分の一負担)。なお教育諸施設については、昭和三三(一九五八)年四月二五日義務教育諸学校施設費国庫負担法→昭和四七(一九七二)年六月五日同法負担率上昇。(ハ)社会保障の施策社会経済力の充実に伴って、生活保障の基盤つくりが次々に施策されていった。その主なものは次のとおりである。

                     (図表参照)

(ニ)地域条件不均衡是正の施策 地域条件の不備・不利による不均衡を是正する施策も整えられた。主な施策が基づく法律は次のとおりである。

                     (図表参照)

(ホ)観光開発 村民のくらしの拡充のための、ものの側面整備と共に、文化、観光側面の、価値の発掘と保持に、たゆみない施策が打ち出された。主な実施は次のとおりである。

                     (図表参照)

経済開発と社会開発(四〇年代) 

昭和三五(一九六〇)年一二月二七日の閣議で決定した「国民所得倍増計画」が開花し結実した年代である。実質国民総生産規模を、ほぼ一〇か年で倍増させようとする計画である。この計画が着々と実現を見、いわゆる経済の高度成長が進行するに従って、次の生活様式が顕わに展開した。(イ)都市の人口過密化―農山漁村の人口過疎化―第二次ひいては第三次産業の急激な伸びは、第一次産業からの労働力吸収を現出した。農山漁村からの人口の流出となり、核家族化の進みにつれて、出生児数の絶対数の減少となり、死亡が出生を上回る自然減も加わって、農山漁村人口の激減を恒常化した。わが村は、昭和二五年の七九六四人を最大値として、逐年急激な減少を続けた。昭和五〇年代に入って、横這い状態を示すに至ったが、わが村の人口は二、〇〇〇人台に減少し、老齢化が進み、就業構造にも大きく影響するに至った。(ロ)産業構造改善と消費生活の向上―経済の高度成長の波動は、わが村の産業構造の改善をもたらせた。土地改良事業、地域格差対策事業、林業構造改善事業等の施策は、適切に遂行されていった。やがて農林業労働力の省力化と、農林道の開さくに伴って、各集落の生活様相は、モータリゼーションに一変した。兼業化は進み、所得構造と消費構造の向上は、集落間・世帯間の生活格差を縮めて、昭和元禄の生活相を展開した。

安定した福祉社会へ(五〇年代) 

経済の高度成長は鈍った。成長率は低下を続ける。どの点で低下の歩度を終息させるか。どこに成長の均衡点を確立するか。高度成長期にふくらんだ「給付の枠組み」は大きい。支出の合理化はどうして実現するか。これが五十年代の大課題である。
 村は過疎化する人口問題をはじめ、生活構造の問題・産業基盤の問題など、多くの問題を抱えている。それらの問題点に立って、安定した堅実な将来像を描き、その実現計画を策定した。はげしい変動社会の中で、不安と焦燥に揺れ動く村民の意識を安定させ、その自覚のもとに、五〇年代以降の村つくりの推進にとり組んだのである。一つ一つ堅実に、どの面にも洩れなく配慮を致して、村民一人一人の自治意識に立った、
「合意と連帯」の村つくり実践を続けてゆく。
(一) 農村綜合整備
 1 集落整備
   (1) 集落間の格差除去
   (2) 集落道の整備
   (3) 用排水施設整備
   (4) コミュニティー施設整備
   (5) 防災施設整備
   2 道路整備
     村道(二二路線)
     農道(二八路線)
     林道(既設二三路線・新設計画三〇数路線)
     集落道 既設道の未改良箇所整備 新設計画路線の早期開さくを進める。
   3 水供給施設整備
   (1) 農業用水施設整備―老朽化用水路線整備
   (2) 飲用水施設の整備―筒易水道・飲用水供給施設設備近く九六パーセント完成
   4 排水施設の整備
   (1) 河川排水施設整備―出水期災害発生のおそれある河川の改修・地すべり防止区域内対策中津地域(小松谷川・上場谷川・ヨゴレ谷川・西ノ谷川)
      柳井川地域(栃谷川・ケショウ谷川)
      西谷地域(本谷川・名荷谷川)
   (2) 農業排水施設の整備―土掘り土水路をコンクリート水路に、集落排水と一体的に整備
   (3) 集落排水施設の整備―農用地排水と集落排水の一体化した排水施設二五路線整備
   5 土地基盤の整備
   (1) 農用水の整備―畑二団地四ヘクタールの整備
   (2) 農用施設用地の整備―米・繭等農産物集出荷場一、肉用牛繁殖牛ふん尿処理施設四
   (3) その他公共施設用地の整備―遊園地・農村公園・多目的集会施設・集会所・山村広場・体育館・プール・公民館・郷土史料館などの用地
   6 産業施設の整備
   (1) 農林業施設整備―家畜ふん尿処理施設(西村ほか三か所)、農産物集出荷施設三か所、乾燥施設(生産地ごと)
   7 その他公共施設整備
   (1) 地域コミュニティー施設―多目的集会施設(西谷古味地域)農村公園・公民館・郷土史料館(落出)・山村広場・体育館・集会所・プール・遊園地(中津地域)・集会所(二一集落)
   (2) 観光施設―四国カルスト姫鶴平(高原サマースキー施設・運動広場・一万平方メートルトリムコース一〇ポイント) 大川峰(国民宿舎・キャンプ場・高原植物園) 高野川本川上流(人工渓流つり場) 八釜渓谷(ロープウェー一基、遊歩道、休憩施設)。
 (二) 村民福祉の充実

                     (図表参照)

 ありし日、わが先人この大地に喚び入れられ、おり立ちて村びととなる。あけくれ、文化化のこころみ重ね来りて、今ここに睦み合う。

(ハ)社会保障の施策

(ハ)社会保障の施策


地域条件不均衡是正の施策

地域条件不均衡是正の施策


(ホ)観光開発

(ホ)観光開発


(二)村民福祉の充実

(二)村民福祉の充実