データベース『えひめの記憶』
柳谷村誌
(四) 道路
人々が、この柳谷の大地に定住して郷びらきして以来、あけくれ抱いてきた宿願の最も大きいものは、なにであっただろうか。それは、この大自然が創り出すゆたかな林産物を運び出し、欲するままに往き来をし、くらしをたかめるに必要な品々を運び入れるチャンネル、すなわち「道路」をつくることであった。
はじめの目標は「馬道」であった。つづいて、馬車が通れる道幅の「車道」を望んだ。そして近年、「自動車」が走れる広さの「自動車道路」を願った。更に、「二車線国道」への願望のあすは、ふくらんでゆく。明治二二年からの「村長制」の村政下に、施策の大眼目として、「道路整備」が置かれてきたわが村の政治史が、これを明瞭に物語っているのである。
今日、どこの屋敷にも車が出入でき、深い谷奥、高い峰すじに、舗装道路は延びてゆく。以下「道路種別」に即して、「みち整備」の現状を表解する。