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柳谷村誌

六 PTA(愛護班)活動

 PTAの先がけ 

 柳井川小学校の記録によると、昭和二〇年一二月二二日に母親学級を開催して、吉村孫吉校医、山崎保胤校長から講話を聞いている。これが戦後わが村のPTA活動の草分けではないだろうか。ほかの学校の様子は記録がないためにわからないが、同校では、二一年二月九日に村教育懇談会を催し、村長、助役、収入役、学務主任等が出席して、これからの教育上の諸問題について協議をしている。「教育振興会」がいつの時点で結成されていたものか不明であるが、二一年八月二八日、教育振興会役員会を開催し、児童のための運動具購入資金を寄附することを決めている。そして、一一月二九日、一二月一八日と母親学級を開講しており、食糧難と思想の混乱からまだ抜け切れていない時期に、すでに新しい動きに対する打つべき手が打たれているのは驚きである。二二年二月二三日の母親学級では、母親学級主催による、学童用茶ビンの購入募金を開始することがきめられている。二二年度は七回にわたって母親学級を行っており、授業参観日を兼ねて何らかの学習活動をしていた様子がうかがえるのである。

 PTAの発足 

 昭和二三年三月一三日に教育振興会を解散して、柳谷第一小学校PTAを発足させている。この時期にわが村の柳谷第二小学校PTA、古味分校PTA、名荷分校PTA、柳井川中学校PTA、西谷中学校PTAの六つの単位PTAが組織されているが、活動の主力は教育後援会的な性格で、戦前の父兄会の活動を踏襲して、学校行事への協力、施設設備への援助などが主な活動であったようである。柳一校では、結成間もない九月三〇日、PTAの寄附によって楽器が購入されており、二四年度には、多年の懸案であったらしい炊事場の拡張をする。増築面積四・二五坪と内容増設を併せた工事の総工費七二、六二七円をPTA経費で施行している。

 村PTA連合会の結成 

 昭和二七年九月に活動方針と予算などを調整して、PTA本来の使命を全うしようと、柳谷村PTA連合会を組織して、初代会長に高岸勝繁が就任した。翌二八年一月、PTA連合会は、村教育行政に対する四項目の教育振興策を要望した。
一 全村教育協議会を開催する。
二 婦人学級を開設する。
三 青年学級を開設する。
四 学校備品等の充実をはかる。
 この要望事項は、昭和二八年度から順次実施されていくが、このころから、参観日を利用した母親学級が開催され、学習活動がPTA活動の中に位置づけられるとともに、「校外生活補導」がPTAの重要な課題となった。
 昭和三十年、町村合併によって、PTAの組織も旧中津村の久主小学校(九月中津小学校と改称)、久主中学校(九月中津中学校と改称)の各PTAを加えて再編成されたが、二九年の一二号台風による柳井川中学校の災害復旧、昭和三○年一〇月西谷小学校統合に関する陳情書の提出、さらには、三一年鉢分校の柳井川小学校への統合問題など大きな問題をかかえ、PTA活動の中心は、そうした方向に向けられたのである。

 PTAの学習活動 

 昭和三四年、PTAによる学習活動が強調されるようになり、年一回程度であるが、父親参観日も催され、講演会が持たれている。柳井川小学校の例によると、三四年には愛大教授宮本七郎、翌年は教育センター所長村上芳夫、以後、篠崎石井小学校長、和田盛重、平松勝太郎、五島貞雄、森教育長、足立邦芳、玉井通孝、家木良雄、森圭作、高橋謙一などを講師に呼んでおり、各PTAとも活動の内容は大同小異であった。
 中学校の進路指導への父母の関心もようやく積極的になりはじめた。しかし、PTAの学習活動の必要性が確認されながらも、家庭で強い影響力をもつ父親の参加は、一部の会員に限られる状態であった。
 昭和三五年一一月二二日、上浮穴郡PTA研究大会が、柳井川小・中学校を会場に開催された。はじめて郡の大きな大会を迎えるために準備に大変であったが、この大会を契機として、柳谷村における学校給食問題が、PTAの大きな課題としてとりあげられるようになり、その後要望運動が展開されるのである。三六年度県PTA大会において、柳井川小・中学校のPTAは優良PTAとして、県表彰を受けている。三五年三月二九日、第一回中学校統合問題推進協議会が開催され、中学校統合問題は全村民の大きな問題として、三か年にわたって研究討議が続けられるのである。この統合問題に関して、PTA組織としての動きはあまり大きくあらわれなかったが、それだけに、この問題が地域感情をふくめて、三地区、三様の動きがあったことを物語るものである。
 統合問題もようやく落ち着きをみせはじめた三七年には、統合中学校での給食設備、通学バス問題、寄宿舎等の問題が、村PTAの中で研究され、七月には役員をはじめとする三地区五五名の会員が、学校給食施設設備先進地視察班を編成し、伊予小学校、川内中学校、久谷中学校を視察している。

 愛護班活動のはじまり 

 昭和三七年には、経済の急成長に伴なう青少年の非行が社会問題として取り上げられるようになってきた。また、水の事故、交通事故も著しく増加してきた。そこで、PTAが中核となって、地域の人々の力をかりて地域ぐるみの中で子どもを守り、健全に育成しようという、いわゆる愛護班活動が全国に先がけて構想された。七月、県段階での説明会があり、PTAが社会教育関係団体としての具体的活動として、地域ぐるみの愛護班組織をつくることに向って歩みはじめた。一一月、第一期愛護班幹部指導者講習会を堀江青年の家で開き、指導者の養成につとめた。この講習会は三九年まで続けられた。こうした啓蒙活動のなかで、郡内各地区の愛護班結成が進み、一一月二八日、仕七川小学校で、郡PTA研究大会とあわせて愛護班活動促進地区別研究協議会が聞かれた。分科会で①愛護班を結成し充実した活動を進めよう。②愛護班の意義と任務は何か。③結成の仕方はどうすればよいか。④子ども会育成はどんなに進めるか。⑤水難、交通事故から守るにはどうするか。などについて体験の交流と意見発表がなされた。
 三八年には、前年にひき続き、愛護班結成、愛護班子ども会の育成に力が注がれた。すなわち、七月二一日単位PTAの指導者を対象とする講習会、八月一四日各学校教頭を対象に指導者講習会を開き、目的、活動、運営などについて具体的な指導をしている。また、各学校内での職員相互の話し合いによる研修、各町村単位でのPTAの研修会などを行うことによって、結成の促進と趣旨に沿った活動の展開をはかった結果、一〇月末には郡内で八五パーセントの結成をみている。わが村では、三八年七月PTA活動をとおして全地域に組織づくりが行われ、四一年七月二六日、柳井川小学校で美川、面河、柳谷三村の愛護班指導者講習会が開催されたのをきっかけに、その後年々柳谷村愛護班指導者研修会が開催されている。

 統合中学校とPTA活動 

 紛糾していた中学校統合問題も解決して、郡内では西谷小学校に次ぐ鉄筋コンクリート造りで白亜の殿堂のような柳谷中学校の完成を目前にした三九年二月、柳谷中学校PTA組織要領が決定し、四月、井野田要が初代会長に就任するとともに、運動場の整地作業に三地区から交代でぞくぞくと人々が集って尊い汗を流した。松岡寛会長に引継がれてからも校庭の美化作業がすすめられ、これらの作業に延べ四〇〇名のPTA会員が奉仕活動を行ったのである。三年間紛糾をしてきたのではあったが、中学校を統合しようという気持ちには変りなく、三地区の会員の気持ちが全くとけ合ってここに結集されこれ以後、まことにうるわしいPTA活動が営まれるのである。
 四〇年一〇月、建築ほやほやの新しい柳谷中学校で、村では二回目の第一五回上浮穴郡PTA研究大会が開催された。大会主旨として「我々PTAは変ぼうする社会にあって、本郡教育の当面の問題である家庭教育の在り方、愛護班活動の充実について努力してきた。本年度は特に愛護班活動の充実と実践に焦点をあて努力をしてきたが、まだ充分であるとはいえない。本大会においては、これら当面する問題を更に掘り下げ、実績を反省整理し、今後の課題は何かを確認し、一層の実践活動の充実を期したい。」研究主題を一 愛護班活動はどうすすめられてきたかの反省に立ち、今後どのようにすすめたらよいか。二 家庭教育の正しい在り方。の二本を柱にして、五分科会に分れて研究討議している。第一分科会は、愛護班を充実強化するにはどうすればよいか。①愛護班活動の現状と問題点と対策。②愛護班連絡協議会の在り方。第二分科会は、家庭教育についての問題点は何か。①明るい家庭づくりはどうすすめたらよいか。②出稼ぎに伴う家庭生活の問題点と対策。第三分科会は、青少年育成上社会生活における問題。①不良化の現状と対策。②明るい社会環境をつくるにはどうすればよいか。第四分科会は、進路指導の現状と問題点。①進学、就職の現状と問題点は何か。②親の立場からみた進路指導の在り方。第五分科会は、義務教育公費負担の増額について。①学校給食運営上の現状と問題点は何か。②その対策について、討議されている。このころから学校給食の父兄、公費の負担区分や教材備品の公費負担のことが、やかましく言われるようになるのである。

 PTAの読書運動 

 昭和四一年ごろから村の各PTAを単位として、読書活動が活発化し、どの学校でも実践に力を入れたので見るべき成果があり、親子読書運動活動者集会が年一回、村内各学校持廻りで開催された。四五年一〇月二七日、愛媛県読書活動研究大会で西谷小学校教諭西田友三が実績発表をして注目されたが、その中で西田は次のように述べている。

 読書指導の重要性がさけばれはじめて久しいのであるが、本校が特にこの面の重要性を痛感して手がけたのが昭和四〇年度である。
 丁度時を同じくして、村教育委員会でも読書活動の重要性を強くうたわれ、読書を通して、家庭での環境づくりを、そして明るく文化的な社会への改革を目指して、学校教育の中へ、社会教育の中へ、読書教育を大きな柱としてうちたて、読書活動推進五か年計画の成案を見るに至り、読書教育の必要性が、学校教育の立場と、全く焦点を同じくするところとなり、「親子二〇分間読書」を中心に活動をはじめたわけである。
 こうした活動を具体化するや、直ちにPTAとしても重点活動として取り上げられ各家庭での積極的な活動はもとより、図書費の予算化をされ、また、教育後援会も図書館充実のために、毎年多額の予算を計上され、その他校下の有志からも、物心両面のご援助を受け、父母と児童・学校が一丸となってこの活動にとりくみ、第一次五か年計画を終り、ここに六年目を迎えているところである。
 この間をかえりみて、活動は必ずしもただ上昇の一途をたどっているとばかりは言えないかと思う。ややもすれば、学校も父母も多忙と言う、かくれみのをかぶろうとすることがないとは言えない。しかし、静かに読書活動の重要性を考えてみたときに、この活動が一時の流行で終ったのでは、折角今までに蒔いた種が大きく育ち、立派な実をつけることはおぼつかないかと思う。
 この機会に、今まで五年間の歩みをふりかえり、その長所と意義、また困難点について、関係者のみなさんとともに充分に考え、またご指導を得て、子どもたちの未来のために大きな光明を求めて、みなさんとともに、今一歩、前進への歩みが運べますことを切に願っているものである。

 昭和四五年度の柳谷村PTA連絡協議会の基本方針によると、「大きく変るであろう七〇年代を正しく見つめながら学校と家庭の教育の調和をはかり、児童・生徒が激減する中でのPTA活動の在り方を研究するとともに、自らが学習し新しい時代に適応するPTA活動を展開する。」努力目標として、(一)会員ひとりひとりが自ら学ぶ学習活動の推進。(二)PTA組織と活動方針の再検討。(三)家庭教育の充実と読書活動の推進。四愛護班活動の充実強化が挙げられている。ここで、児童、生徒の激減、それにともなう活動のあり方を再検討をして、新しい時代に対応しようとする、転換期の様相がうかがえるのである。この年一〇月一八日に、柳谷中学校で三回目の第二〇回上浮穴郡PTA研究大会が開催されている。

人口過疎化とPTA 

 のころからPTAにとっては、児童生徒の減少とそれに伴う会員の減少が新しい悩みとなってきたのである。小学校の統合問題が真剣に論じられるようになり、いよいよ中津小学校に複式学級が生れようとした四八年には、中津小学校の統合問題が表面化したが、教員一名の増によって統合は不発に終り、その後複式の事態に至ってもそのまま経過をしてきている。PTA活動の中に研修旅行が組み込まれるようになり、郡内、松山方面への他校参観が年中行事となってこれより後に続くのである。
 このような情勢変化のすすむ昭和五〇年一〇月一二日、柳谷中学校で、第二五回上浮穴郡PTA研究大会が開催された。この時の基本テーマは、「心身ともに健全な子どもたちの育成をねがう親と教師が力を合わせ、社会の変化に対応したPTA活動のあり方を話し合おう。」ということであった。第一分科会は、調和のとれた家庭づくりをどうすすめるか。・父親の役割、母親の役割。・社会に開かれた家庭教育。・勤労教育、物を大切にする教育。・基本的生活習慣。等の観点について。第二分科会は、会員の生活実態にたった学習活動をどうすすめるか。・参観日の工夫。・学習の場をどこにもとめるか。・話し合い学習のすすめ方。・部活動の自主運営。等を観点に。第三分科会は、愛護班活動をより活発にするためにはどのようにすればよいか。・愛護班活動と公民館活動。・リーダーの養成。・愛護班の日常活動。等を観点に。第四分科会は、非行事故防止のためPTAはどうとり組めばよいのか。・校外生活指導の組織と活動。・地域における小中高PTAの連絡。・交通安全指導。・非行防止と愛の一声運動。等を観点に。第五分科会は、子どもの余暇活動を高めるためPTAはどうすればよいか。子ども会の意義とその育成。・親子読書。・テレビの視聴。等を観点にそれぞれ討議をしている。これらの討議内容を見るとき物質的な豊かさの中で子どもたちが、どのように変容しつつあるか。教育本来の使命が、心身ともに健全な子どもの育成をねらいとしているにもかかわらず、常軌を逸する子どもたちや、はみ出し者が生じ、それをいかに正常化に向って矯正していくかに、PTAがふりまわされるようになってきた社会の深刻さがうかがえるのである。
 このような情勢の中で、第一回柳谷村PTA研究大会が、「子どもたちを健全に育成していくためには、家庭教育、学校教育、社会教育が、それぞれの教育機能を果たしながら相互に補完していくことが、今日きわめて重要である。なかでも家庭教育、社会教育の充実が要求されている。特に本村では、生徒数の減少により各学校の小規模化を余儀なくされ、PTA活動も困難な状況となっている。そこで、この大会は村内単位PTAが村P連を中心として、本村に根ざしたPTA活動のあり方について研究し、その実践意欲を高めるため開催する。」という主旨で、昭和五三年一月一七日中央公民館で開催され、一本村に根ざしたPTA活動を推進するにはどうすればよいか。二社会の変化に対応できる会員研修をどう進めるか。三子どもにやる気を起させるために、家庭教育、学校教育はどうすればよいか。四教育諸条件の整備充実をどう進めるか。の研究主題で分散討議しており、全村的な研究討議の場づくりができるのである。
 五四・五五年度の二か年にわたって、文部省指定道徳教育研究を全村の学校がとりくむことになり、地域ぐるみでないと成果が挙がらないこともあって、PTAも挨拶運動に一役を担ない、五五年一一月四日、柳井川小学校、柳谷中学校を会場に「道徳教育協同推進校」の研究が発表されたが、その成果が高く評価されている。
 昭和五五年一〇月一二日、第三〇回上浮穴郡PTA研究大会が柳井川小学校で開催され、大会テーマ「PTA会員の信頼と協力のきづなを深め、研修活動にはげむなかで、子どもの豊かな人間性を育てるため、地域に根ざした実践活動の在り方について研究する。」に基づき、第一分科会、豊かな人間性を培うしつけ教育をどう進めてきたか。第二分科会、会員の要望に対応できる研修活動をどう進めてきたか。第三分科会、学習意欲を高めるPTA活動をどのように進めてきたか。第四分科会、学校と家庭が進める同和教育をどのように進めてきたか。第五分科会、青少年の非行防止のためのPTA活動をどう進めてきたか。についてそれぞれ討議がされている。このとき、講師として松山教育事務所長松本健が、〝社会環境の変化と子どもたち〟と題して講演をしている。
 西谷小学校は複式三学級、柳井川小学校は複式二学級、中津小学校は複式二学級、そして柳谷中学校は普通クラス三学級と、小規模化の中で村のPTAはがっちりとスクラムを組み、田舎の教育に自信と誇りをもつ学校づくりと健全な子育てに、着実な努力と活動の秋重ねを続けているのである。

柳谷村PTA連合会長

柳谷村PTA連合会長