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柳谷村誌

第四章 年中行事

 年々同じ暦時に、同じ様式の習慣的な行事が繰り返される。これが年中行事である。ただし、それは個人を単位としたものではなく、家庭・村落・民族など、ある集団ごとに、しきたりとして共通に行われるものである。
 年中行事は、このように、各地域社会ごとに共通して、伝承するものであるから、社会の変化に伴って、変化していくことがあるにせよ、そのテンポは非常に遅い。年中行事は、年間いくつかの節ごとに行われることが多い。この節は、自然の動きに関連している生産活動、特に農耕と深いつながりを持っている。そして節の日に神に供物をささげる行事が節句であった。また年中行事をあらわすのに、モノビということばも使われるが、この、モノは、物忌のモノに通ずる語であるとされている。すなわち、この日は、神に対して忌みつつしむ日であり、仕事を休んで汚れを断つ日と考えられていた。このように年中行事は神祭りの日であった。つまり生産活動と深いつながりをもつ節に際し、静かに忌みつつしんで神を祭り供物をささげて、後に人々とともにこれをいただく行事が本来の内容である。
 今日では、その本来の意味が忘れられ、仕事を休んでごちそうを食べ、楽しく遊ぶ日として、娯楽の日、レクリエーションの日のように考えられている。わが村における年中行事も、その意味は別として、続けられているものもあれば、次第に忘れられていくものも多くなっている。地域によって多少異る点はあるけれども主なる行事をみてみる。我が村近辺では明治三〇年ころから太陽暦が用いられ、幾分年中行事の中にも、それが取り入れられるようになったが、ここに記載するものは主として太陰暦による。