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柳谷村誌

第二節 春から夏の行事

 節 分 

 立春の前日、節分の晩を、オオトシノバンあるいは、ドヨノサメ(土用)などと呼んでいた。この日は家の戸口に、タラの木を五寸位に切り、四ツ割りにして、先を割りヒイラギやヒビの木の小枝をはさみ、イワシノアタマ、スミなどを結びつけて、お飾りをつくりつるす。ヒイラギなど先のとがった木を使うのは、ユルリの自在から鬼が下りてくるのを防ぐためといわれている。家々では、ヒビや、ヒイラギを燃して煎った大豆を、一升ますに入れて、床前に供えた後、「鬼は外、福は内」とくり返しながら、豆まきをする。家の中に病気や不幸が入らないよう、また作物が豊作であるようにと願ったのである。この豆を年の数だけ拾って食べると、夏病みしないといわれた。厄年の人は、豆を年の数だけ、四つ辻に持って行き捨てることで、厄落しをするなどの風習があった。その年家を新築する家々では、その敷地の回りにしめなわを張り、土地神に家を立てることをこの晩に告げるなどといわれた。

 初 午 

 二月最初の午の日を初午といい、稲荷様を祭るところが多い。しかし、本来は、春の農事に先がけて、豊年を祈る祭りであるといわれている。初午の日が早く来る年は、火が早い、火事が多いなどといわれ、アタゴサンを祭り、火災から守ってもらう日だともいわれている。

 桃の節句 

 三月三日はひな節句とも呼ばれ、女の節句であるといわれ、ヨモギ餅などをつき、ひし形に切ったものを神に供える。また桃の花をお茶に入れたりして祝った。女の子が生れた家へは嫁の里から、ひな人形などを贈って祝うようになったのはごく新しいことである。

 春の彼岸 

 春分の日を彼岸の中日という。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれこのころから急に暖くなってくる。
 家々では、早くから墓掃除をし、山からハナシバをたくさん取ってきて準備をした。墓参りをハナオリといって、ハナシバを持った人たもの往来が多くなる。親もとへは彼岸やしないと言って、餅やだんごをつくって持っていった。

 社 日 

 春の社日は、立春から数えて五回目の戊(ツチノエ)の日で、春分の日前後となる。社日は農神が去来する日であるとする。春には、山の神が田の神となって野に降り、秋の社日に山の神となって山に還る日と考えられ、この日は農耕を休む習慣になっていた。

 花まつり 

 四月八日は釈迦の誕生日であるとされ、花まつり、お釈迦さんなどと呼ばれている。人々は寺に参り、美しくレンゲの花に飾られた、釈迦の像に甘茶をそそぎ、子供たちは甘茶をもらってビンに入れ喜んでもって帰った。この甘茶にはなにか呪力があると考えられていた。

 春祭り 

 四月中旬には、村内の各神社で春祭りが行われる。

 五月節句 

 五月五日は、五月節句、端午の節句などと呼ばれる。菖蒲・カヤ・ヨモギを束ねて屋根にほうり上げ縁起を祝う。菖蒲は、勝負にちなんで強いものとされた。菖蒲を茶に入れて飲んだり、頭や腰に巻いたり、また菖蒲湯に入ったりして無病息災を願った。五月節句は男の節句とされ、かしわ餅などもつくった。
 男の子の生れた家では、武者人形を飾り、鯉のぼりを新緑の空に泳がせる風景が、我が村でも見られるようになったのはそう遠い昔ではない。

 オサンバイサン 

 田植が始まるとき、田の面に苗束をおいて、田の畦にオサンバイサンを祀った。田の神が山から降りて来られると考え豊作を祈ったものである。干し柿・米・お神酒を供え、カヤとウツゲの花を一緒に立てた。

 歯固め 

 六月一日に、正月の餅を乾してたくわえておいたのを、焼いて食べる。これを、歯固めといった。歯が強くなるためともいうが、六月一日を、豊作に関しては、麦朔日とも呼ばれており、麦の収穫を祝う意味とも考えられる。

 夏祭り 

 六月中旬、村内の各神社では夏祭りが行われる。

 半夏至 

 夏至から数えて一一日目が半夏至で、新暦の七月二日ころにあたる。半夏とは、毒草とされている植物の一種である。この草が生える意味での半夏至は、この草の毒気が充満しているものと考え、この日に穴のあいたものを食べてはいけない日とされていた。また農家では、ハンゲハゲアタマ・ハンゲダなどといって、この日までには田植えを終らせるべきであるとされていた。

 土 用 

 土用は、四季それぞれに一八日間ずつあるが、一般には土用というと、夏の暑い土用をさす。過ごしにくい盛夏の無病息災を願い、夏病みを防ぐため、土用丑の日に、うなぎを食べる習慣もその一つで、川魚を取り、また薬草としてのゲンノショウコなど、この日に取れたものは、なんでも薬になると考えていた。土用中には、農家は作物の成育を願い、害虫を駆除するため、それぞれの部落ではお堂などに集って、米を持寄り、かゆをたいて、サネモリサマに供え、念仏をあげて虫祈祷が盛んに行われた。

 七 夕 

 七月七日は、七日盆または七夕である。天の川で牽牛星と織姫が、一年に一度だけ会うことができる日とされている。サトイモの葉の露をとり、それで墨をすって、短冊に字を書くと、文字が上違するといわれ、天の川・七夕・牽牛・織姫などと書いて、若竹のササにつり下げて、縁側に立てる。タナバタサマは、初物が好きであるといわれ、新鮮な野菜などを供えた。七日盆には、部落によっては、お堂に集ってオセガケなどをするところもあった。

 お 盆 

 お盆は、正月とともに最も重要な年中行事とされてきた。盆とは先祖の霊を供養する仏教の行事である。七月一日を七月入りと呼んだ(第二章通過儀礼参照)。仏様迎えは、新盆の家では一三日、その外は一四日に行う。仏様の迎え、送りは地域によって少しは異っている。墓へ線香を持って行き、お参りして火をつけた線香を持って帰る。その線香と一緒に先祖の霊が帰って来るとされている。オガラなど迎え火をたくところもある。
 迎えてきた仏様は、仏壇とは別に、座敷にボンダナを作る。ボンダナには、ササのついた若竹・バショウ・クスバ・ハギなどを使った。供物は、トウキビ・ナス・キウリ・ソーメン・大きい煎り餅などである。一五日は仏様を送る日となっていて、迎えと反対に、家から線香を墓へ持って行く、送り火をたくなどである。ボンダナも取り除いて川や谷へ流した。盆踊りは、一五日から一六日にかけて、寺の境内や広場で、先祖の霊を慰めるために行われた。カネをたたいて念仏踊りが昔は行われていたようである。