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柳谷村誌

第二節 獅子舞い

 秋祭りといえば、獅子舞い、神輿とともになくてはならないものとされていた。昔は秋祭りも盛大で、祭前の秋の夜になると、獅子舞いを馴らす太鼓の音が静かな山合いにこだましていたものである。
 獅子舞いは、その昔中国から伝来し、もとは舞楽から出たものといわれている。後世において、神楽などで、五穀豊穣を祈願、悪魔払いとして行われるようになったといわれている。
 我が村における獅子舞いは、松木・小村・西村に古くから受け継がれていて、郷土芸能として定着しており、村では、これらを無形文化財として指定している。

  本村祭獅子(松木)

 この獅子舞いは、明治三八年、当時の弘形村(美川村)に住んでいた、恵比須瀧・津田某の両人より、松木の若い衆、梅井金五郎(昭和四〇年死亡)、大窪八蔵(昭和二二年死亡)、相原音四郎(昭和三七年死亡)らが、祭りの娯楽として伝習したのが始まりだといわれている。その後、大正末期には小坂夘太郎、小坂重弘によって、また昭和四○年には、小坂幸雄をはじめ部落の若い者によって承継されている。
 この獅子舞いの舞いぶりは、小太鼓と大太鼓に合せて、獅子頭を前後二人が使って舞う。各演目ごとに、しぐさ、もの言いなどがあって演技が行われる。本村獅子の演目は、三番叟・エチゴ・オヤジ・トテン・ドンツク・イキヅカイ・三作・トントコ・山サガシ・忠臣蔵・狐・アコギ・富士山などと豊富である。

 ここで、本村獅子の太鼓を少し聞いてみよう。

  道 行(演技のはじまり)
 太鼓  ドンパラパン ドンパラパン ドンパラ ドンパラ スット
  コ ドンパラ ドンパラパン
  三番叟
 大太鼓 シャカシャン シャカシャン シャン シャン シャン
 小太鼓 シャカシャン シャン シャン シャカシャン シャン
  オヤジ
 大太鼓 トコトンテン トンテンテン トントン
 小太鼓 トコトンテン トンテントン チキチッチキ トンチキ チ
    ッチッチ
  獅予おこしのことば
 父  やーい三作、かく身をやつし、せっしょうするは立身の望み、
   向うの茂りに宿るはじじゅう、汝ひそかに追い出せよ。
 三作 あいトトさん、獅子追い出すはやすけれど、もしトトさんのな
   んぎとなろう。
 父  これが知れたら百年目、後かまわずさあはよう。
    おさらば、さらば。(西東に別れて行く)
  三作が、獅子を打ちころがし、その上に乗り、トトさんてがらがで
 きました。
 父  大けい、めじか撃とうと思うた、なんのこれしき、にわかよな、
   ハッと獅子を起し大回りして入る。
  忠臣蔵
 大太鼓 トントントン トントントン トンチキ トンチキ トンチ
    ンチキチッチ トコトントントン
 小太鼓 トントコ トントコ トン トン トン

  小村獅子(小村)

 小村獅子は、明治三八年、当時の弘形村有枝(美川村)の上杉某より、小村部落の、長沼喜蔵(昭和四五年死亡)土居佐市(昭和五四年死亡)など、若い者が伝習したのが始まりである。当時、獅子頭をはじめ、多くの衣装などは、組内の有志、岡田清次郎などによって寄附されている。その後、高橋義一(昭和五七年死亡)、山本勘三郎らが継承した。現在は、その振興をはかるため、保存会を結成して、竹内義則・長沼元・山本朝男・山崎勝太郎などによって継承している。
 小村獅子は、小太鼓と大太鼓に合せて獅子頭を前後二人が使って舞うものであり、各演技ごとに踊りなども行う。演目は、三番叟・片足アゲ・片オロシ・オヤジ・狐・オタフク・サル・カリウド・マゴ・イモホリなどあって、いつの時代も、のどかな秋祭り、神社や、部落の広場で行われる演技は人々の心をなごませた。
 この伝統をいつまでも伝えるよう、村では無形文化財に指定してその振興をはかっている。

  西村獅子(西村)

 明治の末期から伝えられているといい、大正年代までは久主地域では、中田・窪田・岩川にも獅子舞いが行われていたというが、時代の移り変りに伴って、いつの間にかなくなり、西村獅子だけが永く伝承されてきた。
 現在は保存会が結成されて、長谷恵男・西野今朝幸・田内一敏・西野剛二などによって継承されており、村ではこれを後世に伝え残して行くよう無形文化財に指定してその振興をはかっている。
 西村獅子の演目は、笹食い・男獅子・ていすい・狐などで、勇壮なところの多い獅子舞いである。