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柳谷村誌

一 立野万歳

 立野万歳は、明治三〇年ごろ、当時の父二峰村(久万町)二名の職人で、作太という人が、村々を「臼の目きり」の仕事で回っていたとき、立野の若者の山本七五三太郎(昭和二五年死亡)、西森勝(昭和三〇年死亡)・山本新太郎(昭和三七年死亡)・松岡宮重(昭和二五年死亡)らが習って始めたものである。この人たちの器用さと、努力によって生まれた立野万歳は名声を博し、一座を組んで、明治、大正、昭和へと、娯楽のない時代の人々を楽しませたものである。昭和三年、松岡寛が主となって承継したが、太平洋戦争によって中断したけれども、若者の努力によって戦後復活し、現在に及んでいる(立野万歳の踊りの歌詞は民謡の万歳唄参照)。
 村では、この立野万歳がいつまでも承継されるよう、無形文化財に指定して、その振興をはかっている。