データベース『えひめの記憶』
柳谷村誌
七 地蔵
(一) 福地蔵(柳井川永野)
この地蔵が祀られるようになった年代は不詳である。昔この地蔵のある部落では、人々がこぞって怠惰にふけり、土地財産は他部落へ流出し貧乏部落であった。その気風を一新するため、時の指導者が、この部落に福をもたらす地蔵として、お祀りするよう人々に言い渡したことから、福地蔵と名付けられたという。
福地蔵は、昔は旧西谷街道の傍に祀られていたが、県道開通によってそのほとりへ、しかし道路の改良によって、転々として近年現在地に祀られた。縁日は八月二四日で多くの人たちが参拝する。
(二) 小村新四国(西谷小村)
明治四一年、岡田清次郎が中心となって、小村の人々を主とした信仰のある有志によってつくられた。
国道四四〇号線から、はるか上部に、お大師山が望める。一段一段と急な石段を登って行くと、千変万化の岩かげや岩の上に八八体の地蔵が祀られている。途中にはお堂もあり昔はこのお堂で、「おこもり」などもしていたという。
(三) 古味大師堂(西谷古味)
この大師堂の建立年月日は不明である。堂の中には、高さ七〇センチ、彩色の施された立像の地蔵が安置されている。昔は盆の一七日の縁日には、古味の人々全員が集ってお祀りをしていたが、現在では役員だけが集ってお祀りをしている。由来などは不明である。