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柳谷村誌

一一 旧西谷村絵図

 この絵図は、旧西谷村を描いたもので、その四方には、東「土州別枝村境」西には「此奥大州御領真砂屋口」とあり、北は「柳井川村境」と記されており、南には「土州永野村ロ」「土州越知面村境」などとなって、それぞれ道がついている。「東土州御領」「西大州御領」「南宇和島御領」「北松山御領」などとも書かれている。
 彩色された絵図には、黒川とその支流が大きく描かれ、また深山を想像される山々、道はほとんど川沿いに寄りつくことなく、離れて山の上部を走っている。
 部落は郷角から猪伏まで、その中には、地蔵堂・大師堂・神社・古城など、また民家がそれぞれ描かれていて、特に本谷の庄屋所については、大きく豪華に描かれてあり、庄屋のはなやかなりし時代の絵図と思われる。しかし、この絵図には、残念ながら年号が記されていない。
 絵図に描かれている人家の数によって、推定するために描かれているそのままを拾ってみた。そうして、「久万山手鑑」(寛保年間 (一七四一~四三))による戸数と比べてみると、総戸数が五五戸少ないのでそれ以前のものであることが推定される。
 宝王寺が享保二年(一七一七)の創立とされているが、絵図には宝王寺が描かれているのでそれ以後のものであり、約二五〇~六〇年前のものと推定される。

 (「絵図」による人家の数)         (久万山手鑑」の人家数)
 郷 角 一一軒(郷角組 一一)            三〇軒(本村)
 本 谷 一六軒(本村組 一三 湯ノ成ル 三)     二四軒
 小 村 一八軒(小村組 八 飛穴 四 大たいら 二
        木地挽屋(熊谷)四)          五三軒
 名 荷 三四軒(くくり松 二 名荷組(中上)四 
        寺野 三 上名荷 三 いよじ 七 
        本村 五 舟戸 七 奥木地 二 
        川成 一)               
 古 味 二一軒(瀧墅 七 古味組 九 上古味 三 
        漆谷 二)               二四軒 
 中 畑  三軒(中畑 三)               七軒
 菅 行  七軒(菅 行 七)              九軒 
 中 窪 一五軒(中窪 一〇 川成 五)        一四軒
 横 野  五軒(横野 五)              一〇軒
 高 野 八軒(高野 五 川口 三)          一八軒
 猪 伏  四軒(猪伏 四)               八軒
 合 計一四二軒                   一九七軒