データベース『えひめの記憶』
松野町
芝不器男(1903~1930)
俳人。北宇和郡明治村(現、松野町)出身。後に、同郡二名村(現、宇和島市三間町)の太宰家に入り太宰姓を名乗る。宇和島中学校(現、県立宇和島東高等学校)、松山高等学校(現、愛媛大学)を経て東京帝国大学農学部(現、東京大学)に入学、後、東北帝国大学(現、東北大学)に転校したが中退した。
俳句は関東大震災に遭った際の帰郷中に、姉の勧めで本格的に句作を始めた。俳誌『天の川』へ投句し巻頭を飾り、後に『ホトトギス』に投句し高浜虚子の名鑑賞を受け一躍注目をあびた。最初に万葉調俳句を作ったといわれている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【JR松丸駅前にある句碑】
汽車見えて やがて失せたる 田打かな
※松野町内には、「不器男の里 俳句の小径(こみち)として17の句碑があり、町内散策を楽しむことができる。
【伊達博物館前にある句碑】
白藤や 揺りやみしかば うすみどり
①芝不器男記念館入口 北宇和郡松野町松丸(JR松丸駅から南へ200m) |
②芝不器男記念館裏門 北宇和郡松野町松丸(JR松丸駅から南へ200m) |
③芝不器男生家 北宇和郡松野町松丸(JR松丸駅から南へ200m) |
④JR松丸駅にある句碑 北宇和郡松野町松丸 |
⑤伊達博物館にある句碑 宇和島市御殿町9-14 |