データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛南町

二神駿吉(1868~1961)

 実業家、衆議院議員。慶応4年6月8日、宇和郡城辺村(現愛南町)で郷土二神深蔵の次男に生まれた。父は国会開設期の政治運動家で県会議員を務めた。南予中学校(のち宇和島中学校)を経て英吉利法律学校(現中央大学)を卒業した。内国通訳会社員、東京モスリン紡織会社支配人となり、やがて三井物産に迎えられ九州における石炭部の事業を統轄、大阪西・名古屋・門司の各支店長を歴任した。大正10年大日本人造肥料会社創立に伴い三井系の代表として専務取締役に就任、ついで日本油脂会社社長になった。大正13年5月の第15回衆議院議員選挙に郷党から推されたが、本人は気乗りしないままあまり運動をしなかったので落選した。昭和3年2月の第16回衆議院議員選挙では雪辱を期し、地方実業界もあげて支援したので最高点当選した。政友会に所属し、代議士としては当時高知・愛媛両県で紛糾していた宿毛湾入漁問題の中央交渉に働いた。5年2月の衆議院議員選挙には立たず、実業界に戻って太平洋戦争の直前国策会社である樺太開発会社社長や宇部興産社長を務めた。母校の中央大学理事・南予時事新聞社取締役にも名を連ねた。俳句をよくし、白雨と号した。弟二神節蔵は山下近海汽船会社の社長であった。昭和36年10月1日、93歳で没した。(『愛媛県史 人物』より)

二神駿吉翁寿像

二神駿吉翁寿像

諏訪神社