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四国中央市

篠原朔太郎(1865~1952)

 和紙製造功労者。宇摩郡川之江村(現、四国中央市川之江町)出身。小学校卒業後、家業の製紙業に従事し始めた。16歳のとき、夏祭りの小遣いとしてもらった1円紙幣の透かし模様に感動し、紙を作る技術の研究を始め、紙を板に張るときに箒(ほうき)や刷毛を用いたり、紙の原料に藁(わら)や麻を混ぜたりする技術を発展させた。そして、各地の物産展や博覧会に出品するようになり、明治37(1904)年、アメリカのセントルイスで開かれた万国博覧会に出品した典具帖紙(てんぐじょうし:包装などに使う薄い上質の和紙)が一等金牌を獲得し、その技術は高い評価を得た。
 その後、東京の大蔵省印刷局(現、国立印刷局)で製紙の機械や原料などをさらに研究し、機械動力による和紙用叩解機(こうかいき:原料を細かく砕く機械)や蒸気で乾かす三角乾燥機を開発したほか、よい原料を求めて朝鮮半島や台湾、北海道の山奥まで調査を行った。機械化によって川之江の製紙業は大きく発展して全国的に有名な紙の生産地となり、多大な功績を残した朔太郎は、「紙聖」として称えられている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①紙のまち資料館前の銅像

①紙のまち資料館前の銅像

四国中央市川之江町4069-1